マルクス+エンゲルス『共産党宣言』大内兵衛・向坂逸郎訳、岩波書店 1951

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 まず1888年英語版への序文に目が行く。ここで著者たちは英国他の社会主義者を批判して「共産主義者」という概念を提出している。「社会主義者」とは「1847年には社会主義者といえば、一方ではさまざまの空想的体系の信奉者、すなわち、すでにともに委縮してしまって単なる宗派となり、次第に死滅しつつあったイギリスのオーウェン主義者やフランスのフーリエ主義者を意味し、他方では、膏薬をべたべたはって、資本にも利潤にも危害を加えずに、あらゆる種類の社会の弊害を取り除くことを約束する種々雑多な社会的やぶ医者を意味した。両方とも労働者運動の外部に立ち、むしろ支持を「教養ある」階級に求める人々であった」「社会主義とは、少なくとも大陸では、「サロンに出入りできるもの」であり」(26-27頁)と述べている。名前が挙げられるわけではないがしかし、1849年に『建築の七灯』を上梓したジョン・ラスキンの中世的社会主義も、ここでの批判対象の範疇に入るのであろうと思われる。もっと述べれば19世紀英語圏の建築家に大きな影響を持っていたラスキン主義とは「サロンに出入り」する「教養ある階級」のものとしてここでは批判対象の範疇に入ると思われる。

 他方ではこれに対する著者たちの「共産主義者」の描写に目が行く。つまり「社会の全面的改造の必要を要求した部分はみずからを共産主義者と称した。それは粗野な、粗削りの、純粋に本能的な共産主義であった」(26-27頁)である。これは何とも美学的描写ではないだろうか。つまり「粗野な」「粗削りの」「純粋に本能的」、これらの形容は19世紀の建築論者や美学論者が「原始人」に対して用いたものとほとんど相同であり、さらに美学的にはまさに「崇高」の範疇に入るものであるからである。言いかえるなら、社会に根底的な力を及ぼす「崇高なもの」、伝統的には「崇高な自然」などと描かれてきたものと相同的なものとしてあるいは反・都会的なものとして、ある人間集団あるいは「階級」を描写しているということである。

 とともに米国におけるマルクス(主義)受容の速さにも目が行く。『共産党宣言』の英語版はロンドンではなくニューヨークで初版が出版され、パリ・コミューンの総括の最初のものはヨーロッパではなくシカゴで出版されたという。

 1848年に初めて出版され、6月暴動の直前に仏語訳がパリに運び込まれたという本書において著者はブルジョアを既に「階級」として措定し、また「階級」について「こうしてプロレタリアは階級へ、したがってまた政党へ組織される」(56頁)と述べ、階級は「党」を持つとしている。ところで他方、T.J.クラークは『絶対ブルジョワ』においてこの時代のブルジョワはまだ階級(class)ではなくポジションであったと述べ、さらに同書冒頭での1848年2月革命の描写において「フォブール・サンドニ地区からは『ル・ナショナル』紙の読者である洋品商たちが、フォブール・サンアントニン地区からは『ラ・レフォルム』紙の読者である職人衆が・・・バリケードへとやって来た・・・」と述べ、この革命の軸となったものは党ではなく、『ル・ナショナル』や『ラ・レフォルム』といった新聞であったことを暗に指摘している(以下)。

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 ケネス・フランプトンの『テクトニック・カルチャー』では20世紀末以降のグローバリズムにおけるスペクタクル社会を19世紀中葉の社会の変容に準えていたが、実際、19世紀中葉のヨーロッパ社会はかつてないほどのグローバル化のなかのスペキュタキュラーな時代・社会であったことが、本書の記述からは見えてくる。ヘーゲルの精神史を転倒し、実証主義と何か化学反応を見るかのような記述はそれ自身、19世紀のエピステーメーではあるかもしれない。

 さて、生産様式の変容と建築の様式の変容。時代精神(Zeit Geist)という言葉にもしもヘーゲル的な含みがあるとすれば、それは生産様式の変容であるとともにそこでの精神のありようを見ていくことでもあるかもしれない。ふたたびクラークの方法論、「歴史とそれに固有の決定因との遭遇は、芸術家自身によってなされる。彼がたまたま遭遇した構造の一般特性の発見へと、芸術・社会史は乗り出すのである。ただしこの遭遇の特定条件を位置づけてもみたい」「これらは、芸術はときに歴史に効果的であるという理念に、われわれをたち返らせる。ほかの諸活動や出来事や諸構造と同じく、芸術制作も歴史的プロセスであり、それは歴史におけるとともに歴史に対する諸行為の連続である。それは意味の構造のある特定の文脈においてのみ理解可能である。だが今度はそれがこれらの構造をときとして変え、そして破壊もする。芸術作品はその素材としてイデオロギー(言い換えるなら、一般的に受容され、支配的な理念、イメージ、価値観)を持っているだろうが、しかし作品はその素材に作用する。それは素材に新しい形式を与え、あるときその新しい形式自身がイデオロギーを破壊するものとなろう」。

 ここで「芸術家」と呼ばれているものを「建築家」に置き換えてみる。

 歴史とそれに固有の決定因との遭遇は建築家自身によってなされる。彼がたまたま遭遇した構造の一般特性の発見へと乗り出すのである。ただしこの遭遇の特定条件を位置づけてもみたい。さらに生産様式のある変容があったとして、建築家はそれにどう対応し、何を考え、何を表現しようとし、何の美学をもたらし、また建築はあるイデオロギー(言い換えるなら、一般的に受容され、支配的な理念、イメージ、価値観)を素材として持っているであろうが、そのイデオロギーに形式を与え、そしてあるときその新しい形式自身がイデオロギーを破壊する可能性を孕む可能性を持ち得ることを、・・・で起こったことを見ていくのである。