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板谷敏彦 『金融の世界史 バブルと戦争と株式市場』新潮社2013

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メモ

「こうした状況を変えたのが、大規模な資金調達を必要とする鉄道という事業でした。そしてイギリスよりも州単位で立法するアメリカの方が、企業誘致の競争上の観点から、この問題に早く対応することになったのです。

1837年にコネチカット州で、株式会社設立に、特許会社のようにいちいち法律を造る必要がなくなり登記だけですむようになると、各州が競争して障壁を下げる方向にすすみました。現在の我々に馴染みの深い「登記だけで会社が設立できる制度」は、この頃から始まったものです。

イギリスは少し遅れて1844年に共同出資法が制定され、自由に株式会社を設立できるようになり、1856年の株式会社法によって有限責任法の諸条件が撤廃され、株主の有限責任が一般化しました。登記だけで株式会社が設立でき、株主に出資分以上に損をすることがなくなったと同時に、無限責任の支払い能力を求める必要もなくなり、相手を気にせず株式を自由に売買できるようになったのです。株価はゼロより下へはいかなくなったのです。そして「1862年会社法」と、それに追随したイギリス以外の各国の新しい法律によって、規制から解放された会社が、19世紀末の最初のグローバル化黄金時代を形成することになります。『株式会社』(クロノス選書)を著したジョン・ミクルスウェイトとエイドリアン・ウールドリッジは、この法律を「株式会社の発明」と呼んでいます。」(144-145頁)

連邦政府は、軍資金調達のための国債消化に苦慮していました。戦争と国債は、切っても切れない関係にあります。北軍のペンシルベニア州は300万ドルの州債を発行しようとしましたが、1841年に一度デフォルトしていたので信用がなく、全く買い手がつきませんでした。

そこに、その当時フィラデルフィアの駆け出しのプライベート・バンカーだったジェイ・クックがこれを引き受けて、州民の「愛国心に訴える」ことでなんとか乗り切ったのです。

クックは一口の販売単位を個人でも買える50ドルにまで落として、投資家の裾野を広げ、地方新聞の広告欄をフルに活用し州債の認知度を上げたのでした。」「この国債販売は、アメリカの証券投資家人口の裾野を広げ、その後の米国における証券投資販売の基礎となりました」(150-151頁)