Carl W. Condit

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こちら(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/jenney-and-the-.html)で読んだカール・コンディットの著作のジェニーについての部分の再読。

 

メモ

「初期の鉄フレーム構造についての英国の主導的歴史家であるA.W.スケンプトンは聖オーウェン倉庫をホームインシュアランスに類比する位置に置いている・・・だが鉄フレーム構造のもう一つの外国のソースはヴィオレ=ル=デュクの『建築講話』でありこれは1881年に米国に訳出されている。この書においてフランスの歴史家・理論家は鉄製部材のスケルトン構造でヴォールトを囲むアイデアを述べているが、この計画はしかしながら多層構造には適さない」

「ジェニーにより身近なものだったのはシカゴの技師・フレデリック・ボウマンによる1884年に印刷されたパンフレット『高層建造物の構法改善』で提起されたものである。ボウマンはここで彼が呼ぶ「高層建物の鉄骨隠蔽型構法」が、高層建物の堅牢性、採光、それに建設の施工性と経済性に有益であると主張している。ホームインシュアランス・ビルのプランの準備期にこの論文は書かれているが、しかしジェニーはバウマンを知っていたのでもっと早くに意見交換がなされていたかもしれない。

ソースが何であれ、建物をして石を着込んだ甲殻類からただ薄皮一枚に覆われた脊椎類へと進化させる大きな一歩を、ホームインシュアランス社のシカゴオフィスのコミッションを得たその次の2年で彼はなした。この建物は1931年に解体されるまでラサール通りとアダム通りの北西角に建っていた。スカイスクレーパーの大元祖であり、大規模都市構造物への最初の適切な解答だった。この業績一つだけでもジェニーの名声を不朽にするに十分だが、彼はさらにその技術的発明に適切な建築的表現を与えるところまで進んだ。彼がなしたことは構造的であるとともに審美的なものでもあったのであり、たとえその潜在性が完全なものになるのは1890年の第二ライタービルを待たねばならぬとしても、そうなのである。ホームインシュアランスの構造システムはディテールを部分的にジェニーの技術助手であったジョージ・B.ホイットニーに負っている。

この建物の構法と機能の配列は既に確実であった技術から直接的に単純に出自して来ている。フレームは柱・梁の連続からなるもので、柱鉄円柱と錬鉄角柱と錬鉄と鋼鉄のI型梁を結合することで床荷重を支えている。リンテルとマリオンは鋳鉄、6階より上のスパンドレルの小梁と大梁はベッセマー鋼によるもので、それゆえこの素材の建物への最初の使用を記すものとなった。これは合衆国において三つの橋梁においてのみ使用されていたに過ぎない。セントルイスのイアーズ橋(1868-74)はシカゴのビルダーにとって最も影響が大きいものであった。ホームインシュアランスのフレーム部材はアングルとウェブとガセットプレートによってボルト固定されていた。」(82-3頁)