Stolog

メモ

Henry-Russel Hitchcock and Philip Johnson with a new foreword by Philip Johnson, The International Style, W.W.Norton and Company. Inc., 1932

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念のため英語版で「歴史」、「第一原理」、およびフィリップ・ジョンソンによる1996年の新たな序文を確認する。

 

まずジョンソンによる1996年版への序文からメモ。

「1930年5月のパリで、バーは私をヒッチコックに紹介した。すぐさま我々全員にとって目下の新しい様式が関心の的であることを感じ取り、それを見て回るのにヨーロッパ中を車で旅行することを決めた。1930年と31年のこの三人での旅行は私にとってよい教育となった」「3人のなかではラッセルが素晴らしい目を持っていた。彼は卓越した歴史家であり、我々の本のテキストは彼のものだった。バーはきっぱりしたイデオローグで「インターナショナル・スタイル」を大文字で始めることを主張していた」「マルクス主義者と建築の社会的側面に興味を持つ一方の側からは、デザインとスタイルを強調することに反対された。彼らは人間活動の源泉としての大文字の芸術を信用しておらず、テクノロジーと利便性にしか興味がなかった。他方では老建築家たち(20代だった我々からすれば)は、現代建築の薄っぺらで過剰に単純化されたハコ、短絡的で白く、キャラクターがなく、誰でもできる構造、に激怒した」(14-15頁)。

「今日でも1920年代の主要な出来事と認識されているヴァイゼンホフジートルンクを考えてみよう。ミースは参加者に「スタイル」を強制しなかったか? 全て白のスタッコ、陸屋根、大きな水平窓。「様式」という言葉は十分興味深いことにアカデミズムによってではなく、実務的建築家によって課せられた制限だったのである」(16頁)。

 

続いて第二章「歴史」からメモ。

「フランスにおけるペレによる鉄筋コンクリートを用いた構法は支持体のスケルトンの分節を目に見えるものとし、壁は柱間の単なるスクリーンとなった。第一次大戦前のそれぞれのヨーロッパ諸国ではそれゆえ、インターナショナルスタイルというコンセプトは別個のものとして出てきたのである」「しかし、未来を約束された様式が最初に登場し、戦争までに最も急速にそれが発達したのは、アメリカにおいてである」「(リチャードソンに続いて)ルートとサリヴァンが鋼鉄スカイスクレーパー構法から演繹し、変更を加えそして後続世代は本質的に変えた。彼らの1880年代と90年代の仕事はまだほとん知られていない」(41頁)。

この頁(41頁)に「シカゴ派(the Chicago school)」という言葉が本書において一度だけ登場する。

 

続いて第四章「第一原理、ヴォリュームとしての建築」からメモ

冒頭は実質シカゴ構法についての解説。

「支持体が金属であれコンクリートであれ、距離を置いて見れば水平線と垂直線の格子に見える」「今や壁は単なる二次材であり、支持体のあいだに張られたスクリーンかそれらの外側に下げられたシェルなのである」(55頁)。

「これまで建築の主要な特質であると考えられてきたマスの効果、静的な密実性は全て消えていった。それに代わったのがヴォリュームの効果であり、より正確にはヴォリュームを境界付ける平面表面の効果である。建築の主要な象徴はもはや密実な煉瓦にではなく、開放的なハコにある」(56頁)。

「保護膜のみで覆われたスケルトン構法では、マスという伝統構法への敬意から道をそれようとしない限り、ヴォリューム表面の効果が達成される」(56頁)。

「われわれの工場ではクライアントが飾り立てようとしない限り、ヨーロッパの機能主義者の構法のようになる。たとえ建築家が(ヴォリューム原理という)受容すべき原理を決して受容しない場合でもヴォリューム表面のように明快かつ効果的に存在する」(58頁)。

ヨーロッパの機能主義者とアメリカの工場建築が同列に並べられていることには留意しておく。

「ヴォリュームは非・物質的で無重力として、幾何学的に境界付けされた空間として感じられる」(59頁)

「それゆえヴォリュームの表面原理の公理として、支持体であるスケルトンにぴんと張ったスケルトンのように、表面は効果として連続されるべきであるというさらなる要求がある」(59頁)。

「標準化されたユニットで耐蝕性と耐久性のある金属の軽快で単純な窓枠は美学的にも実務的にも望ましい」(61頁)。

バルセロナ・パヴィリオンでは壁はスクリーンだが、固定したヴォリュームを定義していない。柱に支持された屋根の下のヴォリュームはある意味で想像上の境界によって境界付けられている。壁はこの統合的なヴォリュームのなかに独立したスクリーンとしてあり、それぞれ分離した存在として、また下位のヴォリュームを創出するものとしてある」(62頁)。

「ある特定の構法に起源があることも、将来における可能性も、どちらも忘れることなく、インターナショナル・スタイルが発展するほどに、ヴォリューム表面という原理に確かでたゆまぬ指針を、建築家は見出すべきなのである」(63頁)。