Stolog

メモ

Henry-Russel Hitchcock Jr., Modern Architecture Romanticism and Reintegration, Da Capo Press, New York, 1993(1929)

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      こちら(http://madhut.hatenablog.com/entry/2016/11/22/002833)で言われている書は、こちら(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/norman-shaw-and.html)のペリカン本ではなく、本書である。

 フィリップ・ジョンソンが熱狂し、コーリン・ロウが高く評価した「近代建築史・外典」である。

 マンフレッド・タフーリが効力的批評(operative criticism)として批判する歴史書に本書が登場しないということは、タフーリはこれを読んでいなかった可能性がある。また「効力的批評」という視点で述べるなら、本書記述中にその名も「未来の建築」という章を持った『ゴシック建築論』がG.G.スコットによって1857年に出版されたといい、この書が「効力的・・」の最初期の書と言えるだろうか。同書は英国におけるジョン・ラスキンの中世キリスト教社会主義の理念やそれに続くウィリアム・モリスのアーツアンドクラフツ運動、さらにアールヌーヴォー(本書の記述では「新・伝統」)という文脈にも位置付けられ得、またペリカン本でもそうだが、このあたりの英国の中世主義からクイーン・アン様式へ、さらにはフリークラシックへ、またバーナード・ショーやネスフィールド、ウェッブ、ヴォイジーといった建築家の記述は他ではあまり見られないものではなかろうか。

 他方では、ハーヴァードでの講義を基に1941年に出版された『空間・時間・建築』の執筆および講義準備において、ギーディオンは本書を読んでいた可能性がある。ギーディオンはバロックの空間性から話を始めていたような記憶があるが、本書もまた後期バロックから始まる。

 またロマン主義についてはニコラウス・ペヴスナーの1943年の書(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/nikolaus-pevsne.html)での考えともある程度重複する。それは本書では過去への視線、考古学的態度におけるものであり、18世紀半ば、1760年のヴィンケルマンによる『古代・芸術史』の出版あたりから話が始まる。

 あえて大雑把に全体のストーリーを述べるなら、ヴィンケルマン以降の考古学的知見から古典主義をはじめとした過去の建物のリヴァイヴァルが始まったが、これはペヴスナーが述べるものと同じ考古学的・学術的厳密性に基づいた19世紀歴史主義の始まりでもあり、異なる時代の諸リヴァイヴァルが再現されていくにつれ、これらを折衷しようとする動きも現れるが、この動きは諸リヴァイヴァルの「趣味」の折衷主義となり、とりわけ18世紀末から19世紀初頭の趣味概念である「崇高」や「ピクチャレスク」を始めとしたものとなっていくこととなる。新・伝統ではこの折衷が「様式」の折衷主義へと再度変化していき、そして新しい時代を準備していった、と言えるだろうか。この過程が「ロマン主義と再統合」と言われる所以であろう。「第8章、新・伝統の本質」から。

「建築の新・伝統は趣味の折衷主義から、合理的・統合的方法を意図して様式の折衷主義へ向かうや、現れた」(90頁)。

ルネサンスバロックの関心はただ古典古代のみであったが、ロマン主義の時代に変化が現れた。次から次へとそして一度にいくつもの異なる時代の過去のリヴァイヴァルがあったが、しかし理論一般においてはまだロマン主義者はある時代のみのリヴァイヴァルについてそれぞれ信じており、あるいは少なくともそうした異なる時代は趣味においてのみ緊密に関連していた。それゆえ二つの主要な陣営のあいだで先鋭な闘争があった。古典主義者と中世主義者の二つの陣営である。象徴的機能的線に沿ってその違いを解消することは、趣味の折衷主義の理論においてなされたのである。ロマン主義の古典主義リヴァイヴァリストと中世主義リヴァイヴァリストの建築が少なくとも1850年まで持っていた様式の感覚をそれはまったく破壊してしまった」「ロマン主義の結論として19世紀は、過去への関係を規則化したのであり、建築に関してそうすることで多かれ少なかれ現在から完全にそれ自身を隔離したのである」(91頁)。

「建築に関しては、新・伝統は趣味の折衷主義を様式の折衷主義に置き換えた。90年代以降、これは重要な建物においてますます明らかとなった。ひとたび過去がそれぞれにおいて閉鎖的で相互に対立的なものの一揃いから全体的なものへと見做され得るや、たとえば極端な例を示すならロマネスクからはマスの効果を、そしてそれを支持するディテールはバロックからと、それぞれ模倣することが可能となった」「当初からしかしながら、各国の新・伝統の創始者達は、その借物を微妙にかつ刮目すべく統合し、また最良の職人術とある程度は同時代の技術とを統合し、それゆえ見た目は過去の残滓はないのだと説得されるほどであった。この事実から「モダニスト」の名が、新・伝統の建築家にしばしば与えられるのである」(92頁)。

 言い換えるなら、ロマン主義とともに始まった諸様式の考古学的リヴァイヴァルがやがて諸様式間の折衷を生み出し、これが最終的に過去の残滓を見えないようにまで効果的に用いられ、そこからやがて過去とは袂を分かった「現在主義者(モダニスト)」の登場を用意した、ということになる。何とも見事な説明である。

 本書はMoMAの「近代建築展」の底本になったものであるが、そこでいわれているもののほとんどは本書において既に述べられていると言っても過言ではない。まず、マス、ヴォリューム、関係、という諸概念が初めて述べられるのは18世紀建築についてである。

「18世紀後半の建築に支配的となる直接的なヴィジョンはたとえ絵画的規範であるにせよ、マス、ヴォリューム、それに関係性という説明をとる」(97頁)。

ヒッチコックはここで既に、マス、ヴォリューム、関係性(ル・コルビュジエの指標線)の規範を導入している。おそらくマンフォードの戦後の論考はヒッチコックのこの概念装置を踏襲しているのであろう。続ける。

「折衷的な線に沿ってマスとプロポーションのスタディへの増していく関心は同時に、幸運にも、ロマン主義に内在していた抽象的絵画的および心理的視点を支持する傾向があった」(99頁)。

「その一般原理を変えることなくそれゆえ最後の時代において新・伝統はどんどん装飾を捨てていった。それ自身のための単純化され還元された折衷的なマスの効果を探求し、それにくり型によることのない表面の肌理のバランスという二次的なものも与えた」(100頁)

 米国においてはリチャードソンがまずこの建築家の筆頭に挙げられる。リチャードソン、サリヴァン、ライトという線はここでも踏襲されている。

 ところでそのライトの線に関し、まずニューヨークのスカイスクレーパーの建築家達が批判され(104頁)、シカゴの建築家達が高く評価される。

「アメリカの創造的新・伝統への現在のスカイスクレーパーの関係は、ライトのシカゴの先行者に最良のものを見ることができる」(104頁)。

「20世紀アメリカの新・伝統の歴史はライトの仕事において顕著である。だがライトは意識的であれ無意識的であれ、彼が多くを負っている建築家の線の末尾にいるのである。彼の師・サリヴァンだけでなく、まずリチャードソンがその道を準備した。これはヨーロッパにおいてまだ新・伝統がなかった時代のことである」(104頁)。

 ちなみにジェニーは「大佐」になっている(この程度の認識であったか)。

「リチャードソンの死の前年、ジェニー大佐はHIBにおいて初めて金属のスケルトン構造を導入したが、これがスカイスクレーパーを可能にした」(108頁)。

これに続いてホラバード+ローシェのタコマビルが言及されている。

 余談ながらライトに関し日本建築の影響はまったく言及されず、「極東」のライトへの「影響」は本書では否定されている。東部の美術史家の当時の認識はそんなものだったのか、とも思わせる(117頁)。

 さてこの新・伝統に続いて「新パイオニア」が登場する。この部分はMoMAの展覧会のまさに底本となった部分であり、主要な主張は既にここに現れている。

「だがこの新しい手法は新・伝統のこのヴァージョンとは根本的に袂を分かっており、というのも、新・伝統は過去の芸術遺産にそのデザイン原理を置いていたからである。マスの三次元コンポジションにおいての代わりに新パイオニアはヴォリュームにおいて構成し、面白みの手段として複雑さを用いる代わりに、彼らはぎりぎりの統一性を探求し、表面の肌理の豊饒さや多様性の代わりに、彼らは単調さや貧しさをさえ希求する。ヴォリューム境界の幾何学としての表面という考えは、そうすることで最も明確に強調されるからである。装飾の排除はただ単に、今日では機械複製によってそれが無価値になっているということのみだけではなく、ヴォリュームと平面の探求が実行されるなら、過去においてそれを美しく装飾していたものは今日ではそれを破壊してしまうゆえ、完全な統一が実現されないからでもである」(160頁)。

これに続いて次頁では「技師の美学」が言及されている。

 MoMAの展覧会の基本骨子は既にここにおいて現れている。とともにル・コルビュジエの諸概念を精密化し、米国建築史ともある程度連結させているとも言える。検証点の一つであるかもしれない。

 ”space, time(time-space)”という概念はギーディオンの前にクヌッド・ロンバーグホルムが既に用いている(162頁)。

 

メモ

www.ubugallery.com

First Look: Knud Lonberg-Holm, Modernism's Long-Lost Architect