戸坂潤『日本イデオロギー論』、岩波書店、1977

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 寄道をして一瞥する。初出は1935年である。

 舶来新思想から昔の思想まで「ありとあらゆる思想が行われる」日本の状況を瞥見しながら(板垣鷹穂も似たような皮肉を述べていた)、まず

 

「思想とはあれこれの思想家の頭脳の内にだけ横たわるようなただの観念のことではない。それが一つの社会的勢力として社会的な客観的存在をもち、そして社会の実際問題の解決に参加しようと欲する時、初めて思想というものが成り立つのである」(17頁)。

 

として、近代(明治以降)日本における主要な思想を著者は二つに分類する。「自由主義」と「日本主義」がそれらである。

 近代化とは都市化なのであるとすれば、その進行によって都市的な思想が主要なものとして大きくなってくるのは容易に想像できる。「自由主義」とは都市のイデオロギーである。

 これに対する反力(反動)として反・都市的な思想、あるいはバランサーとしての思想も同様に大きな思想となってくるであろう。著者のいう「日本主義」とは大雑把にいってこのことであると述べていい。日本の近代化が西洋化でも同時にあったとすれば、明治中期に過度の欧化に対するものとして登場した国粋主義からその後のアジア主義までを、著者はこの範疇で捉えている。そしてこの見取図は今日にいたっても大きく変わっておらず、あらためて著者の整理の射程の大きさに目が行く。さらに述べればスラヴォイ・ジジェクの遥か以前に、リベラリズム批判も著者は行っている。

 さて日本における唯物論は著者がその基を築いたとも言えるが、その唯物論はしかし、イデオロギーというより方法論というべきであるように思える。ついでに述べれば、思想史的にはヘーゲルの精神史を転倒して(しかし三項性はそのままに)マルクス史的唯物論が成立したとすると、たとえば橘孝三郎の日本農本主義を批判するにあたって、ドイツ系社会学ゲゼルシャフト/ゲマインシャフトというお馴染みの図式を橘に従って追いつつ、しかし最終的には精神主義として批判するあたりは、これで完全な批判になるのかという気もしなくもない。また地域主義と、ローカルな思想やローカル思想家というのも、同じにはできないではあろう。しかしながらつまり、

 

「どういう精神主義の体系が出来ようと、どういう農本主義が組織化されようと、それは、ファッショ政治団体の殆ど無意味なヴァラエティーと同じく、吾々にとっては大局から見てどうでもいいことである。ただ一切の本当の思想や文化は、最も広範な意味に於いて世界的に翻訳され得るものでなくてはならぬ。というのは、どこの国のどこの民族とも、範疇の上での移行の可能性を有っている思想や文化でなければ、本物ではない。丁度本物の文学が「世界文学」でなければならぬと同じに、或る民族や或る国民にしか理解できないようにできている哲学や理論は、例外なくニセ物である」(153頁)

 

なのである。これはその通りであろう。

 

 またはじめの方で日本語では「文献学」とされているphilologyを追いつつ、いわばプロテスタント的な文献学とカトリック的な現象学を結び付けたハイデッガーの「解釈学的現象学」という超技も部分的に批判的に瞥見される。

 

「表面化するいうことが現象するということに他ならない。そうだとすれば、例えば事物の背後や内奥に生活の表現を探り、事物の裏からの事物の匿された意味を取り出すといったような解釈学や文献学は、現象なるものに対して初めからソリの合わない方法だと云わざるを得ない。表面というものの厚さを量ることはできない相談だからである。

 にもかかわらずハイデッガーは解釈学的な現象学を企てようとする」「文献学乃至は解釈学は歴史的には使えないから何か現象的にでも之を使う他はない。ドイツ・イデアリズムの世界観としての(人々はそれを好意的に形而上学と呼んだ)歴史的行き詰まりを打開するには、こうした非歴史的な哲学体系が何より時宜に適したものであったに違いない。ナチスの綱領がドイツの小市民を魅了したと同様に、ドイツの所謂教養ある(?)インテリゲンチャを魅了したのがこの哲学「体系」であった」「今やハイデッガーに於いては、文献学乃至解釈学は、そのプロパーな言語学的又歴史的桎梏から脱して、正に哲学そのものの方法に羽化登仙するのである。文献学にとってこれ以上の名誉は又とあるまい。と同時に、これ程文献学にとって迷惑な事もないのである」「例えばハイデッガーによれば、距離(Entfernung)とは遠く離れてある(fern)処へ、手を伸ばすなり足を運ぶなりして、その遠さを取り除く(Ent)事によって、成り立つというのだ。こうした説明は一応甚だ尤ものように見えて案外他愛のないものであり、殆ど一切の言葉が同じ仕方で説明できない限り、語源学的な意義さえそこにはないのであって、之は何等言語学的な説明でさえあり得ないのだ。言葉(ロゴス)が現象への通路だというが、こういう調子では、この通路もただ割合に工夫を凝らした思いつきの示唆に過ぎない」(48頁)。

 

 さて日本主義に関連して和辻哲郎も批判的に検討される。

 

「一体和辻氏の哲学上の方法は、一見極めて天才的に警抜に見えるが、他方また甚だ思いつきが多くてご都合主義に充ちたものであることを容易に気づくだろう。だから氏独自の哲学的分析法と見えるものも、多分に雑多な夾雑物から醸造されているので、それは必ずしもまだ本当に独自なユニックな純粋性を持っていない。現にその倫理学も、多分に西田哲学の援用と利用とがあり、而もそれが必ずしも西田哲学そのものの本質を深め又は具体化する底(ママ、引用者)には見えないので、西田哲学からの便宜的な借りものをしか人々はここに見ないだろう」「氏は明らかにハイデッガーの解釈学的現象学に負う処が最も多いことを告げている」(164-165頁)。

 

このうえで

 

「だが和辻氏の解釈学が、果たして解釈学的現象学に比べて、どこかに根本的な優越性があるだろうか」(168頁)

 

と疑問を呈し、さらに

 

「和辻倫理学がこうした倫理至上主義を取るのは、決して問題が倫理であるからではない。寧ろ、歴史的社会の現実的物質的機構の分析から出発することを意識的に避けようとする解釈学の唯一の必然的な結果なのであって、そういうものが「人間の学」の、即ち広義に於て今日の日本の自由主義者や転向理論家が愛用する「人間学」の、根本特色なのだ」「つまり和辻式倫理学は、自由主義哲学が如何にして必然的に日本主義哲学になるかということの証明の努力に他ならぬ」(170-171頁)」

 

と述べる。

 また自由主義について見ていくなかでは、西田哲学のいわば「存在と無」のなかにロマンティークの残滓を嗅ぎ取っている。