Alexander Eisenschmidt with Jonathan Mekinda eds., Chicagoisms, The City as Catalyst for Architectural Speculation, Park Books, Zurich, 2013

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 こちら(http://madhut.hatenablog.com/entry/2015/09/18/171408)で見たジョアナ・マーウッド=ソールズベリーの論考を含むアンソロジー。編者解説によれば19世紀から現代までのシカゴを一つのアイデアとして捉え、外部からこの都市を見た論考のあいだに内部からのコメンタリーを挟んでゆく構成にしてあるという。

 まず編者による序章からいくつかメモ。

アドルフ・ロースは世界コロンビア博を見るために1893年にシカゴを訪れている。それは二度と家には戻らないという条件で母親から貰ったお金での渡航であった。いっぽうフランク・ロイド・ライトはこの都市でのそれまでの生活と仕事を投げ打ち、1909年にヨーロッパに旅立った。二人ともアイデアの運び人として動いたのである。ロースはいわゆる「シカゴ派」の教訓を吸収しサリヴァンのアイデアをヨーロッパに持ち込んだのであり、他方、ライトのヴァスムート・ポートフォリオは国際的なモダニズムを永遠にアメリカ中西部に関連付けたのである。最終的にロースもライトもシカゴに戻ってくる」(12頁)。

「ハンス・ホラインはたとえば、1950年代末シカゴに住み、多くの時間をこの都市の高層ビルの有名な再構想に費やしている」「「未来のスカイスクレーパー」と名付けられたこのプロジェクト(→http://www.hollein.com/ger/Kunst/Wolkenkratzer)はそれまでの慣習的なタワーとは異なり、庭園や公共空間やその他のプログラムを収納したセグメントを空中に浮かせるものであった」「半世紀以上ののち、中国の深圳でこの案は復活する(→https://www.dezeen.com/2010/08/03/sbf-tower-by-hans-hollein/)」(13頁)。

 スタンリー・タイガーマンによる序文ののち、こちら(http://madhut.hatenablog.com/archive/2016/09/12)で見たホラバード+ローシュの評伝の著者ロバート・ブルーグマンの「文化宮殿」というジ・オーディトリアムのコメンタリーが続く。シカゴ建築で真っ先に挙げられるべきはこの建築という。

 ところでジ・オーディトリアムについて見るなら、設計者達は「総合芸術作品(Gesamtkunstwerk)」というドイツの概念を念頭に置いていたとされるが、それだけでなくこれはブルーノ・タウトの述べる「都市の冠(Der Stadt Krone)」の一例でもあり、とともにその規模と複合的機能という点でもまたその財務手法でも、この時代の資本主義/都市の表象でもあったかもしれない。財務手法について述べれば、南北戦争時の戦費調達の手法によって一般化した債権方式がその前史にあるだろう。戦費調達という課題は金融資本の発展にとっても一つの契機であったかもしれない。もっと述べるならそれまで戦費調達の手法として用いられてきた国債発行を建設国債として発行し、経済成長を領導した戦後日本のプロトタイプも、ここにあるのかもしれない。

 またこのジ・オーディトリアムはのちのロックフェラーセンターの原型でもあるとも言え、このコメンタリーに続くコメンタリーでウィリアム・ベーカーは1893年コロンビア万博でのフェリスホイール(観覧車)について考察している。

 これもあえて話を広げて見るなら、いろいろな点でコロンビア博はコニーアイランドの前史であったと言え、ジ・オーディトリアムやコロンビア博に対するロックフェラーセンターコニーアイランドという点で見ていけば、これらはいわば『錯乱のニューヨーク』前史をなしているとも言えなくもない。さらに述べるなら単に規模を大きくした二番煎じというだけでなく、シカゴのルイス・サリヴァンやジョン・ルートに対し、ニューヨークのウォーレス・ハリソンやレイモンド・フッドという、建築家からして二流どころによるところがいかにもという感じではある。

 バリー・バーグドールによるコメンタリー、「ピクチャーフーレムとしてのシカゴフレーム」では1920年代初頭のフリードリヒシュトラーセでのスカイスクレーパー案と1948年構想のミシガン湖畔のレイクショアドライヴについて述べている。

「1922年にミースはこう書いた(フリードリヒシュトラーセの解説か?)。「建設中のスカイクレーパーのみがその大胆な構法的思考を明らかにする」、そして続ける。「その舞い上がるような骨組は圧倒的だ・・・にもかかわずやがて石がこの構造に張り付いていくとこの印象は破壊され、構法の性格は否定される」(60頁)。

レイクショアについて述べながら

「土地の売却者であったノースウェスタン大学による湖の景色を残すことという指示に従い、ミースはソリッドとともにヴォイドを構成した。骨組構造はピクチャーフレームとして機能し、二つのタワーを結合して横に広がる一層目のコロネードの下から広大に広がるミシガン湖の水平線を定義している。アパート内部では床から天井までのガラスが無窮へと広がるフレーム化されたディオラマをプレゼンテーションする」(60頁)。

 アルバート・ポープの論考「メガロポリスはいたるところに」は、戦後のヒルベルザイマーの都市計画案について解説したものである。シカゴは1950年頃から内郭都市の人口減少が始まり、いいかえるならこの前後からドーナツ化現象が始まり、さらに2000年前後から内・郊外の人口減少がそれに続き、他方では外・郊外の人口は増え続けて広域圏としては人口増が続いているというグラフを冒頭に置き、従来のグリッド型(街区型)都市計画案からヒルベルザイマーによるスパイン・ユニット型のモデルを説明していく。(ref., http://d.hatena.ne.jp/madhutter/20070923

 内郭における人口減少と郊外における人口増加は同じ力によるものであると見たヒルベルザイマーは1950年代に戦前のドイツでの計画案をさらに進め、たとえばル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトが示したような1枚の絵に向かっていく計画ではなく、スパインユニットを時間をおいて連続的に挿入していく計画を提示したのであるという。

 この手つきは、内郭から外・郊外へのヒエラルキーを解体するもののようにも見え、ヒルベルザイマーらしいようにも思える。メトロポリスではなく「メガロポリス・・」と述べるのも、そのあたりに理由があるのであろう。