布野修司 田中麻里 チャンタニー・チランチャット、ナウィット・オンサワンチャイ、『東南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容』、京都大学学術出版会、2017

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 フィリピン住居については第一章「オーストロネシア世界」の住居で触れられるにとどまる。

 全体は序章で「住居の原型」が概観され、第一章でオーストロネシア世界他の「伝統的住居」が概観され、第二章で主にインドシナ半島の住居が概観され、第三章で同地域の都市型住居(ショップハウス)に焦点が当てられ、さらに第四章と終章でメガロポリス化していく同地域の都市状況について述べられていく。第一章はロクサーナ・ウォータソンの書(http://d.hatena.ne.jp/madhutter/20080214)の主題と共通する部分があるようにも見え、第四章と終章は東大・村松研の研究主題と共通するものがあるようにも見える。

 

メモ

『世界ヴァナキュラー建築百科事典EVAW』全三巻、『世界住居誌』(布野修司編、2005)

 

「建築は、一般的には屋根、壁、床によって構成される。最も重要なのは屋根を支える建築構造である。建築構造あるいは架構方式によって空間の規模や形は大きく規定される。

構造方式、架構形式を大きく分けると、

SA 天幕構造、

SB 軸組構造(柱梁構造)、

SC 壁組構造(組積構造)、

の三つに区別される。」(15-16頁)

「2-3|高床-海の世界

 天幕構造の住居とともに広大な地域を移動した陸上の遊牧民たちに対して、海上を移動する海人(シー・ノマド)の世界がある。彼らの住居は、海や川、湿地の上に床をつくって建てる高床式住居である。地面から離して空中に床を設ける住居の原型は、樹上住居である。床を地面から離すことで、湿気を防ぎ、洪水を避け、また猛獣や害虫を防御するというのは、居住しにくい環境に暮らすために人類が選択した、ひとつの解答である。もともと、人類は樹上に生活していたのである。パプア・ニューギニアコロワイ族の樹上住居が知られるが、インドネシア中南米の熱帯降雨林に実際に見られた。より一般的な高床式住居であれば世界中に見られるが、集中するのは東南アジアである。

 スンダランドを揺籃の地とするモンゴロイドが住みついたのは太平洋沿岸であった。アボリジニやパプア人はその末裔である。しかし、彼らの言語は近接するインドネシア語タガログ語オセアニア語とは系統を異にする。そこで考えられているのが第2派となる集団の移住である。オーストロネシア語族と呼ばれるその集団は、東はイースター島から西はマダガスカル島まで実に広大な海域世界に分布する。

 その源郷は、台湾もしくは中国南部と考えられている。紀元前4000年から3500年にかけて、まず先オーストロネシア語系民族が台湾に移住し、紀元3000年頃フィリピン北部へ、紀元2500年から2000年にかけてフィリピン南部からボルネオ、スラウェシ、マルク方面へと次々に拡散していったというのである。

 ブラストは、古オーストロネシア語を復元することによって、原初オーストロネシア文化の特徴を、1 米と雑穀耕作、2 杭上の木造家屋、3 豚、犬、水牛、鶏の飼育、4腰機による機織り、5 弓矢の使用、6 土器の製作、7 錫など金属についての知識、と推定した。

 高床式(杭上)住居も様々な形式がある。しかし、オーストロネシア世界全体に同じような住居形式が建てられ続けてきたと思わせるのが、ドンソン銅鼓の分布とそこに描かれた家屋文様である。また、石寨山などから出土した家屋模型である。ミナンカバウ族、バタック族などの住居の屋根形態は、そうした家屋紋によく似ているのである。オーストロネシア世界の高床式住居については第1章で詳しく見たい」(27-29頁)。

「2-4|井籠-森の世界

 木材が豊富にあるユーラシア大陸および北アメリカの北方林地帯に分布する井籠組壁構造(木造組積造、ログ構造、校倉造)については、先に触れた通りである。この井籠組壁構造の起源については議論があるが、黒海周辺で発生したという説が有力である。そうした意味では、森の世界の住居の原型と言えるであろう。森の世界でも熱帯降雨林の場合は、木は豊富であるが、暑さと湿気の問題があるから、一般的には熱帯には向いていない。しかし、東南アジア地域にも井籠組壁構造をみることができる。黒海周辺起源説に基づくと北方へシベリア方面に向かったものと、南方へインドシナ半島を下ったものとの2系統を考える必要がある。東南アジアの井籠組壁構造については第1章でみよう」(29頁)。

「1-6|海の世界

 一般に海の世界は人間の居住空間とは考えられない。しかし、海上に集落を建設する例もなくはない。海は古来豊富な資源をもたらし、交易のネットワークを支えてきた、水上居住あるいは船上住居という居住形態も珍しくない。海の世界とそれをつなぐ交易拠点は、陸の世界と同様極めて重要である。世界史的な交易圏を考慮すると、アジア大陸は、東アジア海域世界、東南アジア海域世界、インド洋海域世界、地中海海域世界に囲われ、成り立ってきた。建築の様式や技術も海の世界を通じても伝えられる。フィリピンのルソン島の山岳地方にはイフガオ族の住居など、日本の南西諸島の高倉形式と同じ建築構造の住居がある。明らかに両者の間には直接的関係がある。高床式の建築の伝統はさらに広範である。その建築の伝統を支えた海の世界がオーストロネシア世界である」(59頁)。

「東アジアの島嶼部の大部分で用いられている言語はオーストロネシア語であり、世界で最も大きな言語族を形成している。最西端のマダガスカルから最東端のイースター島まで、地球半周以上にわたって分布し、東南アジア諸島全体、ミクロネシアポリネシア、そしてマレー半島の一部、南ヴェトナム、台湾、加えてニューギニアの沿岸部までにもわたる。この広大な諸言語は、全て、プロト・オーストロネシア語と言語学では呼ばれる。少なくとも6000年前までは存在していたらしい言語を起源としているとされる。言語学的な足跡は自然人類学や考古学の分析結果ともかなりよく一致し、新石器時代の東南アジア諸島における初期移住の状況を物語っている。

 プロト・オーストロネシア語の語彙の分布を復元することによって、人びとの生活様式が窺える。住居は高床式であり、床には梯子を用いて登ること、棟木があることから屋根は切妻型であり、逆アーチ状の木や竹によって覆われていたこと、そして、おそらく、サゴヤシの葉で屋根が葺かれていたこと、炉は、壺やたき木をその上にのせる棚と共に床の上につくられていたことなどが語彙から窺われるのである。

 新石器時代に高床式住居が発達していたことはタイの考古学的資料によっても裏付けられている。西部タイで、三千数百年から二千数百年前頃の土器群が発見され、バンカオ文化と呼ばれている。言語学者ポール・ベネディクトが復元したプロト・オーストロ・タイ語は、「基壇/階」「柱」「梯子/住居へ導く階段」といった単語を含んでいるという。すなわち、高床式住居は、オースロトロネシア語族(特にその下位グループとしてのマラヨ・ポリネシア語族)と密接に関わりをもっているとされる」(61-62頁)。

「2-3|住居の原型-ドンソン銅鼓と家屋文鏡

 東南アジアの住居が木造(あるいは竹造)の高床式であったことは、プロト・オーストロネシア語の復元によって推測されるのであるが、具体的な形態が分かるわけではない。東南アジアはインド文化の洗礼を受け、続いてイスラーム文化の波を受けた。基層文化としての土着文化は、インド文化、イスラーム文化と混淆してきた。漢文化の影響は断続的にある。そして、住まいの伝統を考える上で決して無視し得ない西欧列強による植民地化の長い歴史がある。ヴァナキュラー建築の形態がどのようなものであったかを明らかにするのはそう容易ではない。

 しかし、相当以前から各地域の住居は今日と同じ様な形態をしていた。また東アジアの住居が共通な起源をもつのではないかと思われる手がかりがある。ひとつは考古学的出土物に描かれた図像資料、もう一つは各地につい最近まであるいは現在も建てられている住居そのものである。すなわち、その2つに類似性が認められるのである。

 大きな手掛かりとなるのが、ドンソン銅鼓と呼ばれる青銅鼓の表面に描かれた家屋紋である。また、アンコール・ワットやボロブドゥールの壁体のレリーフに描かれた家屋図像である。さらに中国雲南、石寨山などから発掘された家屋模型の墓葬群で、数多くの家屋銅器、家屋紋が出土し、住居の原像を考える大きな手がかりを与えてくれる。そして、日本にも家屋文鏡、家屋模型が出土している。

 まず、ほとんど全ての図像が高床式住居である。古くから高床式住居が一般的であったことが明らかである。そして、わかりやすいのが屋根形態である。切妻、寄棟、方形、円形屋根など様々な屋根形態があるが、注目されるのは、「転び破風」屋根、あるいは船型屋根もしくは鞍型屋根といわれる屋根形態である。棟が大きく反りかえり、端部が妻壁から大きく迫り出している極めて特徴的な形態である。この「切妻転び破風」屋根は、バタック諸族の住居、ミナンカバウ族の住居、トラジャ族の住居を代表例とし、大陸部ではカチン族など、島嶼部ではパラオなどにも見られる。東南アジアの住居についてひとつの共通のイメージを抱くことができるのはこの特徴的な屋根形態の存在があるからである」(62-63頁)。

「2-4|原始入母屋造・構造発達論

 何故、オースロロネシア世界という広大な領域に共通の建築文化が想定されるのかについては、木造の構造力学的原理に関わるもうひとつの理由も挙げられる。木材を用いて空間を組み立てる方法は無限にあるわけではない。荷重に耐え、風圧に抗するためには、柱や梁の大きさや長さに自ずと制限がある。架構方式や組立方法にも制約がある。歴史的な試行錯誤の結果、いくつかの構造方式が選択されてきているのである。そうした問題を考える上で興味深いのがG.ドメニクの構造発達論である。ドメニクによれば、実に多様に見える東南アジアの住居の形式を、日本の古代建築の架構形式も含めて、統一的に理解できるのである。

 ドメニクは、東南アジアと古代日本の建築に共通な特性は「切妻屋根が棟は軒より長く、破風が外側に転んでいること」(「転び破風」屋根)であるという。そして、この「転び破風」屋根は、切妻屋根から発達したのではなく、円錐形小屋から派生した地面に直接伏せた原始的な入母屋の屋根で覆われた住居(原始入母屋住居)とともに発生したとする」(66頁)。

 

→Domenig G.(1980) Tectonics of Primitive Roof Building: Materials and Reconstructions Regarding the Phenomenon of the Projecting Gables on Old Roof Forms of East Asia, Southeast Asia, and Occeania, ETH Zurich

G.ドメニク 構造発達論よりみた転び破風屋根、入母屋造の伏屋と高倉を中心に (杉本尚次編 1984

 杉本尚次編

日本のすまいの源流―日本基層文化の探究 (1984年) ?

住まいのエスノロジー―日本民家のルーツを探る (住まい学大系) 単行本 – 1987/12/20 ?

 

Robert A. Blust

Austronesian Languages (Cambridge Language Surveys) (英語) ペーパーバック – 2001/5