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メモ

Joanna Merwood-Salisbury, The Gothic Revival and the Chicago School: From Naturalistic Ornament to Constructive Expression, Skyscraper Gothic, Medieval Style and Modernist Buildings, ed by Kevin D.Murphy, Lisa Reilly, University of Virginia Press, 2017

 

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 ジョアナ・マーウッド=ソルスベリー(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/joanna-merwood.htmlhttp://madhut.hatenablog.com/entry/2015/09/18/171408 )のペーパー。大雑把に述べて「思想/様式」から引き剥がされたとでも言うべきあり方で近代建築が成立したといった諸言説に対して、シカゴ派建築のなかにゴシック・リヴァイヴァル→ロマネスク・リヴァイヴァル→ゴシック・リヴァイヴァルといった思想/様式を読み取っていくものといえる。カール・コンディット(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/adler-and-sulli.html)ともどもマンフレッド・タフーリの論文( http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/manfredo-tafuri.html )も終わりの方で批判的に瞥見されている。

 ロマネスク・リヴァイヴァルは言わずもがなヘンリー・ホブソン・リチャードソンのリチャードソニアン・ロマネスクを嚆矢とし、これがマーシャル・フィールズを通してシカゴ等に広まったことはこれまでも述べられてきた。初期のゴシック・リヴァイヴァルと後期のゴシック・リヴァイヴァル(それぞれが意味するものは異なっている)については、これまであまり触れてこられなかったものである。

 

メモ

1920年代以降数十年にわたり、批評家たちはシカゴ派は様式の欠如によって定義されると固く信じてきた、たとえばスカイスクレーパーを可能にした新しい構法は、先行する歴史様式の参照をも無効にしたといった具合である。「シャルトルのゴシック聖堂に対するものと同じ関係が、モントークの高度な商業ビルに対する関係である」と建築家トーマス・トルマッジは1941年に書いた」(88頁)。

「米国の建築家がジョン・ラスキンやウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュクから学んだものは固定した様式としてのゴシックではなく、柔軟で時代の利便に容易に適用できるものなのであった。このようにしてこれはスカイスクレーパーの理想的な先行者となったのであり、1880年代に広くその変形が用いられたのである」(89頁)。

このゴシックの例として、P.B.ライトのレノックスビル(1872)とジェニーのポートランドブロック(1872)、メイソンブロック(1880)が挙げられる。「尖頭アーチを持った狭い窓、自然主義的装飾、それに複数の色を持つ石とレンガの組み合わせ」という特徴によってである(90頁)。

「ゴシック・リヴァイヴァルの道徳的連想はシカゴにおいてとりわけ重要であった。ニューヨーク以上にシカゴは町全体が金儲けのためのアメリカン・ゴッサムと見做され、1833年の開闢以降、この中西部のメトロポリスはその市民の側の文化的感覚や精神的感性のなさ、そして建築の質の低さにおいて19世紀を通じてつねに軽蔑されてきたからである」(93頁)。

「ライト(1871年にシカゴにやってきた)やジェニーといった建築家の心中においてはゴシックを商業ビルに採用することは美的進化にぴったりだったのである」(93頁)。

 

後期のゴシック・リヴァイヴァルについての記述もメモ

「ゴシック・リヴァイヴァルは近代性や産業化の批判から、ビジネスそれ自体を道徳的冒険とする表現へと変容していったのである。地平線高く聳えるゴシック・スカイスクレーパーは産業化社会における調和という新しい時代の象徴を意図したのである」(105頁)。

 

この分野における研究者達の展開もだんだん見えてきた。