Stolog

メモ

Frank Sedlar, Engineering Industrial Architecture, The Trussed Concrete Steel Company and Albert Kahn, University of Michigan, April 23, 2013

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メモ

文献

American Concrete Institute, “Concrete Knowledge Center.” Web. April 15, 2013

Kahn, Albert “Albert Kahn, Architect, Detroit Michigan.” Architectural Catalog Co. New York. 1920

Kahn, Albert “Reinforced Concrete.” November 18 1918

Kahn, Albert “Reinforced Concrete Architecture These Past Twenty Years.” 20th Aniversary of American Concrete Institute. 1924

Kahn, Albert “Concrete and Metal Construction.” United States patent Office 736602, August 18, 1903

Marquis Akbert Nelson “Biography of Julius Kahn.” The Book of Detroit: Abiographical Dictionary of Leading Living Men of the City of Detroit. 1914

Meister, Chris. “Albert Kahn`s Partners in Industrial Architecture,” J. Soe. Of Architect .Hist., March 2013 PP. 78-95

Nelson, George. “Industrial Architecture of Albert Kahn Inc.” 1939. New York.” Republic Steel Corporation Audiovisual Collection,” Ohio History. Web.April 20. 2013

 

「短い梁、暗い室内、組立に熟練を要する伝統的重量木工造(mill construction)から、今日われわれが知っている近代産業建築への移行」(2頁)

 

「北ミシガンと日本での鉱山技師勤務の後、デトロイトに戻ってくる」(3頁)→Meister

 

「マイスターによれば、カーンらの最初の鉄筋コンクリートビルはパームズ・アパートメント(1902)」3頁

 

「1902年には鉄筋コンクリートはまだ不確かな技術だったと言ってよい」4頁

 

「科学的データがなかった」5頁

 

「しかしながら鉄筋コンクリート基準が普遍化する何年も前のことである。鉄筋コンクリート分野に新たな技術革新の潜在性はなかった。ジュリウス・カーンは鉄筋コンクリート・システムをさらに発展させたが、これは計算を正確化し、その使用への躊躇を緩和するというものだった」5頁

→カーンの功績=計算化

 

「試験なしにある柱や梁がどれだけの荷重を受け持つか、計算方法がなかったのである」5頁

 

「この関心はジュリウスをして「トラストコンクリートスチール補強システム」、一般的に「カーンバー」として知られるものへと導くことになる」、「最も特徴的なのは傾斜したウィング部とバーの長さである」6頁

 

→サンフランシスコ大地震1906年4月18日

 

「カーンバーの構造技術は、地震を経験したこの地域ですぐにきわめて一般的となった」11頁

 

「ジュリウスは1910年に東京に行き、そこで会社を設立した」、「日本事務所はとりわけ、大阪、名古屋、福岡、川崎へと急拡大した」「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルでも使用された」11-12頁

 

「1910年にパッカード工場が完成すると、トラストコンクリートシステムを使用によって、アルバート・カーンは建築家として潜在性を示した」25頁

→パッカード工場の立面と平面図

 

「1910年のパッカード10はパッカード工場の10番目の建物。それまでは重量木構造による。木製の短いスパン、暗い室内、思い床など。パッカード10はジュリウスのカーンバーを用いた最初の鉄筋コンクリートで、とともにトラスト・コンクリート・スチール社の鋼製建材を最大限活用したものだった」31頁

 

「重量木構造によえう最初のパッカード工場棟は12-14フィートスパンだったが、パッカード10は32フィートの大スパンを飛ばした」、大きな窓からは大量の自然光が工場内に供給され、そこで働く人たちを輝かせたに違いない」31頁

 

→33頁にパッカード工場全体の配置図、かなり面白いと思われる。

 

「ュリウスの特許取得は1903年」35頁

 

「スターラップ方式の鉄筋コンクリートはトラスコンのものより安価で熟練を要しない」、「1936年に製造を停止」36頁

 

「英国と日本のトラスコン社は1919年頃に終了」37頁→1910年設立、9年間操業か。

 

アルバートとジュリウスは1942年没、37頁