
メモ
マルクスは、若い頃にテキサスという遠い土地への移住を真剣に考えて以来、北アメリカに変わらぬ関心を抱いていた。マルクスの合衆国に対する印象は、ヨーロッパで流行した旅行記、特にトーマス・ハミルトンの『アメリカの人と習慣』(1833)、ギュスターヴ・ボーモンの『マリー、あるいは合衆国における奴隷制度』(1835)、アレクシス・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(1835-1840)を読んだことで最初に形成された。 p93
マルクスもエンゲルスも、他の多くのドイツ人亡命者たちと共に、最終的にはイギリスにたどり着いた。さらに多くの敗北したドイツ革命家たちは合衆国へ移住し、「四八年組」として知られるようになった。
一八四八年革命後の数十年間に、数十万人のドイツ人がアメリカ合衆国に移住した。バリケードで戦ったかどうかにかかわらず、移民のかなりの割合が革命志向の感情を抱いていた。ニューヨーク州選出のトーマス・ホイットニー下院議員は、こうした移民を「赤き共和党員、農業主義者、不信心者」と呼び、「旧世界の不満分子」であり、「ロベスピエールの側に立った者たち」だと憂慮した。ホイットニーのような排外主義者には恐れをいだく理由があった。ほとんどの「四八年組」は、いずれドイツに戻って彼らが開始したことをやり終えるつもりだったが、むしろアメリカでの地殻変動のような出来事に不可欠の存在となった。 p37
ホレス・グリーリーが発行する共和党の非公式機関紙「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」は、一八四八年をめぐる社会主義者の見解に特に強い関心を抱いていた。蜂起が始まると、グリーリーは社会主義的傾向を持つ編集者チャールズ・ダナをパリに派遣し、この魅力的な新たな理論的枠組みを通して出来事を解釈できる新たな特派員を探させた。
友人の勧めで、ダナはケルンに向かい、刺激的な「宣言」を執筆した急進派新聞の編集者と面会した。あらゆる報告によれば、ダナとマルクスは短い面会で意気投合した。マルクスの闘争心と知識に感銘を受けたダナは、トリビューンの応酬特派員としての職をマルクスに申し出た。 p43
急進派「四八年組」は、南北戦争の西部戦線で、ジョン・C・フレモント将軍の指揮下にある北軍に合流し、彼らの革命プロジェクトに好都合な場を見つけた。 p50
アメリカ内戦ほどマルクスを励ましたテーマはなかった。彼が指摘する「現代史上最初の偉大な戦争」の中で、マルクスは求めてきた近代的社会革命を見出した。それは「今までに実現された人民自治の最高の形態」と「歴史の年代記に記録された人間の奴隷化の最もいやらしく最も恥知らずな形態」との対決であった。これは反動から革命への潮流の転換点だった。このような展望は、一八四八年以来の勢いでマルクスを奮い立たせた。 p51
奴隷解放宣言後、マルクスはリンカーンを「歴史の記録において類を見ない人物」と評した。 p55
北軍に所属するドイツ共産主義者たちは、南部部隊への進撃中に自分たちを鼓舞するものとしてこの(マルクスからリンカーンへの)書簡を読んだ。 p57
『資本論』第一巻でマルクスは、ヨーロッパ人入植者による先住民からの土地強奪を含む本源的な蓄積が資本主義発展の重要な段階だと論じた。・・・マルクスは、土地に固執する人々の大半が資本家の原型をなす者ではなく、土地剝奪こそがプロレタリア化の強力な原動力であることを認識するに至った。 p157













