2023-01-01から1年間の記事一覧
1 第二章「学校に戻る」を読む 1902年にカーンはメイソンとの協働を解消し独立する。最も大きなクライアントはパッカード社。 ローランドは1910年にメイソンとカーンの推薦状をもってハーヴァードに「特別学生」として入学する。逆算すると32歳。最も大きな…
1 アルバート・カーンのチーフデザイナーだったワート・ローランドについての評伝。序章と第一章「ディーンに働く」。 メモ 「自動車産業の劇的発展により、デトロイトの人口は1900年の約30万人から1930年には160万人へと爆発した」p3 「1900年から1930年ま…
1 全体は11章構成。 メモ 最初の評伝、グラント・ヒルデブラント、『産業デザイン、アルバート・カーンの建築』(1974) ヒルデブラントはカーン事務所勤務経験あり。 フェデリコ・ブッチの2002年の書。 テリー・スミス『現代を造る、アメリカの産業、芸…
1 メモ 「ピカソは一九三三年のカーンワイラーとの対談のなかで、シュルレアリスムという言葉をアポリネールが一九一七年に発したときには、自身もまた「現実よりも現実的ななにか」を構想していたと回想している。この言葉が端的に示しているのは、現実との…
ニコライ・コンドラチェフの波から話を始め、産業革命以降を四つのコンドラチェフ波との関連でまず読み解く。技術革新と言われるものはこの波と関連していると見られる(シュンペーターの波動論)。1873年恐慌、1929年恐慌など。1929-1873=56年 1885-50=1835…
1 文献 Terry Smith, Making the Modern Industry, art and design in America, Chicago, The University of Chicago press, 1993 Jordy Wiliom H. American Buildings and their architects.Vol.5, Yhe impact of European Modernism in the Mid-Twentieth …
1 文献 Albert Kahn, “Our Travelling Scholar,”The American Architect and Building News XXXIII:812(18July 1891),pp39-41; for a selection of Kahn`s travel sketches, http://exchange .umma.umich.edu/resources/24727 Thomas Crow, Modernism and Ma…
1 ヒッチコック、ネルソン、コンディットによる言及。 匿名チームによるデザイン。→119頁。 建材、写真、建物、兵器の章で構成。 1910-20年代の欧州でのイメージ流通に関しては、 1993 issue of the German Werkbund yearbook Werner Linder, Die Ingenieurb…
文献 Albert Kahn Associates, Architecture of Albert Kahn Associates (New York: Architecture Catalog Company 1948) Grant Hildebrand, Designing for Industry: The Architecture of Albert Kahn (Cambridge, Mass.: MIT Press,1974) Chris Meister, “…
1 メモ 文献 American Concrete Institute, “Concrete Knowledge Center.” Web. April 15, 2013 Kahn, Albert “Albert Kahn, Architect, Detroit Michigan.” Architectural Catalog Co. New York. 1920 Kahn, Albert “Reinforced Concrete.” November 18 191…
建築を完結体と捉えるとともに、その設計作業と組織を完結体と捉える、カナダの建築家ジョン・B.・パーキンとジョン・C.パーキン(血縁関係はない)が、アルバート・カーンの組織にならったという話。 ドイツの新古典主義であれ、北米ボザールであれ、北米の…
メモ 「機械に取って代わられることになる手について述べる。その上で、一つの歴史的プロセスとしての機械化を取り扱う」、 「複雑な技術を機械に置き換えていくことが、高度な機械化の始まりを画する。この複雑な技術から機械化への移行は、十九世紀の後半…