Stolog

メモ

Michael G. Smith, Designing Detroit, Wirt Roland and the Rise of Modern American Architecture, Wayne University Press, Detroit MI, 2017 2

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第二章「学校に戻る」を読む

 

1902年にカーンはメイソンとの協働を解消し独立する。最も大きなクライアントはパッカード社。

ローランドは1910年にメイソンとカーンの推薦状をもってハーヴァードに「特別学生」として入学する。逆算すると32歳。最も大きな動機は建築史だったようだ。

ここでハーバート・ラングフォード・ウォレンの影響を最も受けたようだ。ウォレンは1893年にハーヴァードに着任するまでリチャードソン事務所に5年勤務し、自身の事務所を1885年に開設。『古典主義建築の基礎』と『ウィトルウィウス建築十書解説』を著している。ウォレンの考えでは建築は長く伝統的な原理と今日的な技術の統合から結果するというもの。

ウォレンの指定書のなかで、ローランドはヴィオレに影響され、それは二つの点においてであったという。

ひとつは建築史の統合的知。そしてもうひとつが幾何学の重要性。とりわけエジプト時代から続く等辺三角形の重要性である。

ヴィオレの『建築講話』から引用が続く。正確には、幾何学と比例の重要性ということか。

事務所に戻ってからのミシガン大学ヒル講堂では、さっそくこの幾何学と比例の原理が設計に用いられている。

ヴィオレからショワジーを経てル・コルビュジエの指標線へといたるラインと同じである。

カーンの建築は構法だけでなく、幾何学と比例に基づいている、それもヴィオレ経由の。

あらためてヴィオレ『建築講話』の重要性。