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メモ

松井裕美『キュビスム芸術史、20世紀西洋美術と新しい〈現実〉』名古屋大学出版会、2019

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メモ

ピカソは一九三三年のカーンワイラーとの対談のなかで、シュルレアリスムという言葉をアポリネールが一九一七年に発したときには、自身もまた「現実よりも現実的ななにか」を構想していたと回想している。この言葉が端的に示しているのは、現実との照合性を持たない自律した作品そのものを、ひとつの現実として認めようとする姿勢である。ただしそれは、絵画作品を色塗られた平面という物質として見るということではない」、

「だがピカソにとって、芸術とはやはり、素材や物質に完全に還元されてしまうものではなく、ひとつの虚構として機能する必要があった。「現実よりも現実的ななにか」という彼自身の言明の意味するものは、何も意味しない線や平面を装飾的にならべた抽象的な模様ではない。それは、例えば『聖マルトル』に挿入されたピカソの挿絵のように、幾何学的な構築という、人間の知性により科学の道具として培われてきた視覚言語を用いながら、ひとびとが慣習的に持つ現実のイメージとはかけ離れた、別の現実の描写法の可能性を提示する。

 それは虚構世界としての芸術をとおして「見る」ことを学び、「知る」ということにほかならない。」

「ここで重要なのは、「真実」とはなにか、芸術家が「求めていたもの」とはなにかということではない。」、「問題となるのはむしろ、ピカソが「真実」を伝えようとして用いる「嘘」という手段が、どのようなものかといことである。「嘘」としての芸術の最たる例は、もちろん、彼のキュビスム的な実験の結果生まれた作品である。」

ピカソが鑑賞者に期待してるのは、芸術作品が「嘘」であることを認識しながらも、それをとおして真実ないし現実について考察することである」

164-166

 

「作品を現実の模写と捉えるのではなく、現実と並行しながら自律した存在と捉えるこの見解は、キュビスムにおける「概念のレアリスム」と関連しているだけでなく、来るべきシュルレアリスムの誕生をも予感させるものである」

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「リン・ガムウェルが指摘するとおり、第一次世界大戦からキュビスム理論にたびたび登場する「分析」や「総合」という語は、当時キュビスムの芸術家達やその周辺の文学者たちにより読まれていた哲学者イマヌエル・カントの『純粋理性批判』に由来する。ただしキュビスム批評が引用するカントの思想の解釈には誤謬が含まれていることがポール・クラウザーにより指摘されており、こうした語が厳密な意味でカント哲学にしたがうものではなかった点にも注意が必要である。

 実際、「分析的キュビスム」と「総合的キュビスム」を定義する際のこれらの語は、カントの理性批判とほぼ無関係であると言ってよい。分析的キュビスムのあとに続くキュビスムの発展の一段階として総合的キュビスムが定義されたのは、アルフレッド・H・バー・Jrにより一九三六年にニューヨーク近代美術館で行われた前述の展覧会『キュビスムと抽象芸術』においてであった。」

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「これに対しピカソとブラックは、一九一一年頃から一九一二年にかけて、平面構成と立体表現のあいだのあらたな往還を開始し、総合的キュビスムを開始した。きっかけは、新聞紙や壁紙、段ボール紙という、平面的でありながら固有の厚みを持った素材の併用であった。これらの平面をカンヴァスの上に重ねることで、分析的キュビスムにおける幾何学的な平面の重なりを三次元的に再現することが可能になったのである。その最たる例は、カンヴァスに新聞紙やカードを貼り付けるパピエ・コレである。それは、三次元的な物質の重なりを二次元的な絵画空間に導入することにより、絵画作品とも立体作品ともとれるような新しい美術の概念を提示するものであった。」

170

 

「一九一○年から一四年にかけてのキュビスム批評では、キュビスム絵画における多視点的要素は、セザンヌと関連づけられてはいない。むしろそうしたキュビスム絵画の特徴はアンリ・ベルクソンの思想と関連づけられる傾向にあった。」

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キュビスムは慣習的な絵画実践そのものもまた、実験の材料にして疑問に付し、再考察の対象とした。そのことによってキュビスムの芸術家達は、イメージを認識し構築するプロセスそのものに作品としてのかたちを与え、さらにはそうしたかたちが現実を新たに理解するための発見的なモデルとしての無限の可能性を有していることを示そうとしたのである」。

 こうしたなかで生み出された「概念のレアリスム」という言葉は、対照認識のメカニズムのなかに、眼による受動的な知覚以上のもの、すなわち知識や思考能力による解釈や構築のプロセスがあることを示すものであった。」

522

 

「そこで明らかになったことは、ロザリンド・クラウスが一九七九年の『オクトーバー』誌に掲載した論文「グリッド」のなかで提起した仮設に密接に関連する結果となったことに、触れないわけにはいかない。この論文は短いものではあるが核心をついており、キュビスム作品の記号論的な読みを展開するクラウスのその後の思考的発展を予見させるものである。クラウスはそこで、マレーヴィチモンドリアンの作品に描かれた格子のうちに「地図」としての性質があったことを指摘している。ただしこの格子は「地図」でありながらも、現実空間の事物の位置空間の投影ではなく、したがって「絵画表面の上に、部屋や風景や人物のグループを描出する」ことはない。この「地図」は、「絵画化されたイメージとそれが指し示す現実世界が相互に関係していた」ルネサンス期の透視遠近法とは本質的に異なる、「絵画それ自体の表面」を示すダイアグラムなのである。だが一方では、マレーヴィチモンドリアンが絵画に描いた格子が、単なる画布や絵の具の顔料以上のもの、「存在や心や精神」を意味するものであり続けたように、この「地図」は抽象絵画においてすら象徴的な意味を付与され得たのだとクラウスは指摘する。したがってクラウスのグリッド論は、たったひとつの線や色にも避け難く意味を付与してしまう人間の無意識の衝動を言いあてるものであると考えられるのだ。

 本書で立証したように、ダイアグラムとしてのキュビスム作品、すなわち「地図」そのものとしての作品は、まさに現実の似姿ではない、幾何学的な構成を描いただけの平面それ自体を見せながらも、同時に現実の対象から出発しながら、なんらかの方法で避け難く現実を指示してしまう性質を持っていた。さらにそこから一歩進んで本書で示したのは、キュビスムが単に無意識的にそうした実験を行っていたわけではなく、むしろ本能的な認知メカニズムについての考察に意識的にとり組んでいた点である。」p524

 

「あるかたちに意味を付与したり剥奪したりする造形的・理論的実験は、キュビスムの芸術家にさまざまな表現の可能性を与えた。なかにはピカソのように古い価値観を覆そうとする芸術家もいれば、グレーズやメッアンジェのように部分的にではあれ慣習的な文化を映し出すイメージを描いた芸術家もいた。換言すれば、かたちから意味を剥奪する行為だけでなく、かたちに意味を与え直すこともまた、彼らの試みの重要な一部分をなし得たのである。こうしたなかで、彼らの認識メカニズムへの問いは、どのような意味や意義をかたちのなかに選択的に与えていくのかという問い、すなわち価値システムへの問いに結びつくことになる。」

「そもそも、キュビスムに特定の「宣言」が存在しなかったことが示すように、キュビスムの芸術家たちは、様式やイデオロギー以上にむしろ現実や伝統を絶え間なく問い直すものを共有していた」、

「つまるところキュビスム運動とは、共通の理念で固く結ばれた流派というよりも、ゆるやかに集まった若い芸術家たちによる相互的な対話のなかで徐徐にかたちづくられていったいくつかのコミュニティーの総体さったのである。」

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