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メモ

Claire Zimmerman,”Albert Kahn in the Second Industrial Revorution,” AA files 75,2018

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文献

 

Albert Kahn, “Our Travelling Scholar,”The American Architect and Building News XXXIII:812(18July 1891),pp39-41; for a selection of Kahn`s travel sketches,

http://exchange .umma.umich.edu/resources/24727

 

Thomas Crow, Modernism and Mass Culture in Visual Arts, Art in Common Culture (New Heven, 1996)

Giovannni Arrighi, The Long twentieth Century,…

 

メモ

「建築はとりわけ20世紀では長いこと空間デザインと同一視されてきた。あるプログラムのために空間を計画することは、利便性が最重要であるとカーンは主張し、設計はつねに内部から外部へと投影されると言う」

「しかしカーンの内部空間は大きすぎるように見えるとしばしば批判されてきた。空間的に充分に分節されておらず、また適切にプログラムされていないとも」、ここからMMWの図書室との対比。この批判はどこで?

75頁

 

「他のヴァイマールの文化理論家同様、アメリカニズムは文化的スペクトラムに新たな可能性をもたらすと理解していた。カーンの建物をこのレンズを通して見ると、特定しすぎず、設計しすぎないことの価値を示唆する。室空間を概念的に放っておき、建築家ではなくそこでの行為者に放っておくということである」→Ricardo Agarez

 

「パッカードは1903年に始まり、フォード・ハイランドパークは1908年、この中間にパースアロー工場(1906年)」

「組立線が労働力を空間に組織する。カーンは自動車製造のこの概念を具体化した」37頁。

 

「カーンの兄弟であるモーリツ・カーンはこの考えを『The Design and Construction おf Industrial Buildings(1917)』で規則化した」37頁

 

 

「「だがカーンの工場を髣髴させる欧州のモダニストの建物、構法論理と建物皮膜の関係はしばしばデトロイトで適用されたものから反転される。カーンは根底的に変化する建築に伝統的な被覆を被せた。カーンに影響された欧州の建築家は、この急進的建築のイメージを非・求心的建築に被せた」引用源消滅。これらの建築家にとって機能に関連した核となる組織原理は、二次的なものにすぎない」→バンハム『第一機械原理』 42頁。

 

「チャールズ・シーラーのエレガントなリヴァー・ルージュ工場群のイメージは、フォードによってそのネガティヴなイメージを払拭するために依頼されたもの」、「ミースによるテクノ・サブライムのはるか前に」75頁。

 

「カーンが参加したのは米国資本主義の市場が確固としたとき」75頁。

 

ジョヴァンニ・アリギによる商品経済と金融経済の言説、降車が前者を決定付け出す、75頁。

 

「1902年から1945年の一群の作品はある疑問を提起する。資本主義下の建築は商業行為以外の何物でもないのか、抵抗の方法は最も急進的なイメージに包まれ得ることなのか、建築家は政治的であるために政治を「所有」する必要があるのか、建築家