Stolog

メモ

G.R.Larson and R.M.Geraniotis, Toward a better undestanding of the evolution of the iron skelton frame in Chicago, Structural Iron and Steel, 1850-1900, edited by Robert Thorne, Studies in the History of Civil Engineering, Volume 10, Ashgate Publishing Li

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R.M.ジェラニオティス(Geraniotis)の論文がようやく入手できた。全体は鉄鋼構造史、各論文初出をそのまま合本したもので論文ごとに文字の大きさもフォントも異なり、また全体構成は第一章が水晶宮とその後、第二章が橋梁と展覧会建物、第三章が鋼フレーム構法の到来、という構成。本論文は第三章に含まれる。

前半はほぼHIB批判である。とはいえHIBが「初のスカイスクレーパー」ではないことはこの直前のカール・W.コンディットの論文でも述べられていることであり、「HIBは初のスカイスクレーパーではない」、「ジェニーはスカイスクレーパーの父ではない」という謂い自体が、それほど重要とは思えない。「スカイスクレーパー」「鉄鋼フレーム構造(シカゴ構法)」の問題はまた別に考えた方がいいようにも思える。

むしろ自然光採光のためにこの「構法」を用いたこと、desideratumとしてのdaylight(それは不動産価値に直接的に関係している)をジェニーが意識していたこと(304頁)は、ボウマンやブルックス・ブラザースとの共通の認識(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/franklloydwrigh.html)であったことを窺わせる。

さてボウマンの小論(Frederic Baumann, Improvement in the Construction of Tall Buildings, 1884 - Stolog)の位置づけである。この論文を今日の時点で読み返すと「ふむふむそうか」で終わりそうであるが、この論文はHIBより前に発表されており、なおかつこの論文で述べられていることは、まだ実現されていないフレーム構造のtall buildingなのであると、著者は述べる。

つまりボウマンはこの論文において概念として、そしてそれが概念上のものであるがゆえにより一層、純粋な構法を初めてここで前提とし、かつ論じている、ということになるのである。ボウマンはヨーロピアンだなとも言えるか。

とはいえ他方では、HIB背面の耐力壁がなければ通りに面したフレーム構造はまったく機能しないこと、EVバンクの向こうには(定型ではあるが)光井戸があること、背面耐力壁、前面フレーム構造(ただしジェラニオティスによれば構造的には完全なものではない)という見ようによっては明快な使い分けには留意しておく。