Stolog

メモ

Lewis Mumford, “Monumentalism, Symbolism and Style,” April, 1949, Architectural Review

 

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 重要な論文と思われる。

 東京中の図書館をあたってもどこにもなく、地方の大学の図書館にあることが分かり、コピーを取り寄せた。

 向井正也の『モダニズムの建築』(http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/1983-12fa.html)で詳述されるヴォリューム/マス概念のヒントになったと思われるものは、後ろの方にわずかながら出てる。とともにテクスチャー、色彩といった向井の他のキーワードも、それに続いて一度だけだが出てくる。

 この論文の主題はモニュメンタリズム「記念性」であり、マスやヴォリュームはその材料に留まる。

 「記念性」はこの時代の主要なアジェンダであったと思われ、CIAMにおける議論やカレル・タイゲ/ル・コルビュジエの論争、言いかえるなら「モニュメントではなく、インストゥルメントを」というおもに1920年代の議論がその前段にあり(http://d.hatena.ne.jp/madhutter/20090506)、その延長上で一連のこれらの議連が展開しているように、これはまた思える。ここでも導入はジークフリート・ギーディオンであり、彼が1946年9月26日にRIBAで行った「新しい記念性」がそれである。ギーディオンのこの議論はCIAMにおけるかつてのタイゲらとの議論と無関係ではなかろう。

 さらにまたこの少し前、1943年には同じくギーディオン、ホセ・ルイ・セルト、フェルナン・レジエによる米国における「記念性の九原則」(→『現代建築の発展』)が書かれ、さらにはまたこの一年後、つまり1944年にポ-ル・ズッカーによってコロンビア大学で関連したシンポジウムが開催されているが、このあたりが戦後のルイ・カーンの初発の地点であったことは比較的知られている。(ついでに述べれば、これに前後してカーンがサリヴァンやその背後にあるであろうリチャードソンにシンパシーを寄せていたらしいことは再確認、→TC274頁)。

 いずれにしてもギーディオンの文脈自体は、タイゲをはじめとしたノイエ・ザハリヒカイトとの論争から出てきており、初期モダニズムの「工学技士の美学」はヴォリューム概念およびK.マイケル・ヘイズの述べる「ポストヒューマニズム」で論じられなくもなく、またこの「美学」は「記念性」はなくとも、というよりは記念性を排除したうえでのアイコン性の獲得によってあらためて史的に論じられ得るとは思われるものの、ここにきてより重層的にむしろ論じた方がいいのか、とも思えてきた。

 ちなみに本論で述べられているもう一つの主題である「シンボル」は、ここにおいては「機械」、モダニズムの象徴としての「マシン」である。また冒頭においてジョン・ラスキンの「思想」とヒッチコクの「史書」が批判されているが、後者のものは言わずもがな『近代建築』であり、これについてはいずれ一瞥する。

 向井が参照したマス/ヴォリューム対概念の前段には、この対概念導入にあたって内向的/外向的という対概念が述べられ、そのさらに導入として著者はなぜかリチャードソンを持ってきている。

 「その作品においてリチャードソンは内部の調度品や仕上げを幾分軽視したが、それは全て外部において記念的な効果を与える必要のためであり、建物の前を通行する市民を印象付けることは、内部にいる人を直接的に喜ばせるよりは重要であると彼は考えていたからである。」(178-189頁)

 この謂いではリチャードソンは外向的/ヴォリューム的、の例としてと読めてしまう。いずれにせよ、外向的/内向的、ヴォリューム的/マス的、について述べた部分。

 「だが開放性と柔軟性を成就しようとするまさにこの試みにおいて、暗さや引き籠り、休息やぬくぬくとすることへの要求が生活にはあるのだということを忘れてはならない。こうした要求は防空壕にのみ求められているわけではない。それゆえ目下の開放性の発明を喜んで受け入れるとともに、未来に向かってはこれを修正するものを導入することを期待したい。つまり、もっと光を、もちろん、ただしいくばくかの暗さを。もっと開放性を、しかしいくばくかの閉鎖性を。もっとヴォリュームを、しかしいくばくかのマスを」(179頁)。

 ヴォリューム/マスが対概念として登場するのはこの一文においてのみである。本論の主題である記念性について。

 「記念性の別名は印象深さ(impressiveness)である。鑑賞者や使用者に与える効果である。それは尺度や建物の配置、高さや巾、壮麗さ、機能や目的の劇的強調であり、これはマス、ヴォリューム、テクスチャー、色彩、絵画、彫刻、庭園、水路、背景を形成する建物の配置方法といった可能な諸手段によって、なされる」(179頁)。