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メモ

瀧口修三 『コレクション・瀧口修三・12、戦前・戦中編II、1937-1938』、みすず書房 1993

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メモ

「あらゆる記憶像は排除せられ、したがってモチーフというものは、われわれの視覚的な客観物としてのみならず、主観的な活動を通して初めて把握されるものとして理解された。アポリネールが「諒解されたレアリテ」あるいは「創造されたレアリテ」といっているものである。たとえば、一個のテーブルそれ自体は、われわれに固有な感覚を与えるにすぎない。画面の技術的な条件に従属せしめられた時にのみ感覚をもつものであって、結局、画面はまったく別個なレアリテの仮構にすぎないものである。立体派の画家は、カルル・アインシュタインの言葉によれば、「抽斗をあけるように物体をあけた」のであった。注7

 タブローの表面は、たんなる現実の視覚的重複物としてでなく、自律的な重要さをもってきた。彼らはヴォリュームを表わすのに、異なった諸部分の同時的な対比をもってし、「面の透明性」transparence des plansといわれる面の重複や分割の方法によったのである。また瞬間的な運動についても、運動の第一諸要素を対比的に圧縮することによって、静的な同時性に変形された。つまり彼らは運動をも、いろいろな形の面に分割したのである。したがって光と影も、印象派などの場合とはまったく異なった機能に変質せしめられ、構成を与える構造的な意味でのみ利用された。初期立体派の絵画の一つは、色彩の変化が著しく制限されたことであって、ほとんどモノクロームに近いものさえあるのはこの理由による。

 立体派の作家たちは、物体の外観よりも、その構造に注意を向けた結果、画面の諸要素の再現は著しく幾何学的な形態に支配された。立体派画家の力強い擁護者であったアポリネールは次のように書いている。」(391-392頁)。

注7は、Notes sur le cubisme.(Documents,No.3,1929)

「立体派は最初、面におけるマッスやヴォリュームの分析から出発して、抽象的な様式に到達したが」(400頁)。

アポリネールにとって、オルフィスムとは文学上の「同時主義」Simultaneismeを、造形芸術に応用したものにほかならなかった」(402頁)。