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Giorgio Ciucci, The City in Agrarian Ideology and Frank Lloyd Wright: Origins and Development of Broadacres, The American City, The MIT Press, 1973

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ジョルジュ・チウッチのフランク・ロイド・ライト論にも目を通しておく。こちら(

Giorgio Ciucci, Francesco Dal Co, Mario Manieri-Elia, Manfredo Tafuri, The American City, From the Civil War to the New Deal, The MIT Press, 1979, translated by Barbara Luigia La Penta: RCaO2)とこちら( http://rco-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/manfredo-tafuri.html )の続きでもある。

ライトのトリックスター的性格はアイン・ランドの小説『水源』やこの小説を基としたハリウッド映画『摩天楼』の主人公にもある程度は投影されているのかもしれないが、おそらく滑稽にさえ見えるのであろうこれら主人公のあり方はしかし、ライト本人の性格や思想というよりむしろアイン・ランドの思想(eg. http://toyokeizai.net/articles/-/94979,  http://courrier.jp/blog/13827/, http://nikkidoku.exblog.jp/18327733/, etc. )の投影の方が大きいのではないか、と思えることがある。本論ではランドの小説はまったく登場しないが、しかしながら後わり付近で引用されるマイヤ・シャピロの1938年の論考は、そもそもの始まりから「建築家フランク・ロイド・ライト」という存在が時代錯誤的だった、あるいはイタリア・ルネサンス以来のアルベルティ的建築家像とは捻じれていたのであり、あの特異なあり方はその結果なのではないか、とも思わせるものではある。つまり「シャピロが正しくも結論したようにしかし、「もっと多産的条件下であったとしてさえ、建築家の圧倒的多数はオリジナルな芸術的創造の機会を得ることはない。彼らは資本主義下のオフィスでサラリーを貰う労働者であり、自己発展の可能性を持つことはない」」(370頁)であり、さらに末尾でのチャールズ・ムーアによるディズニーランドの言説による反照も、そう考えさせなくもないからである。

論題にもあるようにこの論はフランク・ロイド・ライトと南部農本主義イデオロギーとの並行性/非並行性を主に見ていくものである。それは主として1920年代以降の話と言え、それまでのオークパーク時代やタリアセン時代について見ればある種の反・都市主義的傾向はあるものの、むしろ1894年にシカゴ大学に赴任してきたジョン・デューイや、さらには日本の西田幾多郎にも影響を与えたとされるウィリアム・ジェームズの弟子筋が同大学に集まって建築とはまた異なる「シカゴ派」を形成し、ライトがそこにも出入りしていたことなどが目を引く。さらに1900年にはパトリック・ゲデスがシカゴを訪れ、ライトはゲデスに会っている。ただしライトよりも所員であったウォルター・バーリー・グリフィンの方がこれには反応したという。オーストラリアの首都キャンベラのマスタープランはゲデスの思想を何がしか反映しているだろうか。また、グリフィンはライトの所員のなかでライトが唯一アドヴァイスを仰ぎ、批判を受け入れた人物であったという。

さて1920年代以降の南部農本主義思想その他の記述は、アメリカ思想史としても面白く、またこの時代に米国社会に地殻変動的な変化があったのではないかとも思わせるものであり、さらに述べれば同時代の日本とも何がしかの並行関係を見ることも、できるかもしれない。

1920年代の米国は第一次大戦の軍需特需後ということもあって好景気の時代であったと一般には言われる。しかしながらそこから取り残された部分もあった。南部の貧しい農村地帯がそれであり、KKK禁酒法はこれに徴候的であるという。

KKK南北戦争時の南軍退役軍人の交流会に出自したもので、その最盛期は1920年代であった。当時のKKKの「インペリアル・ウィザード」であったヒラム・ウェズリー・エヴァンズのスピーチ、「われわれは平凡な人間の運動である。文化的問題には大変弱いし、知識層の支持もなく、リーダーとしての訓練も受けていない。われわれが要求することは、日常的で、高度に文化的でもなく、過剰に知的でもなく、しかしまったく無垢でアメリカ的で、そして古株の平均的市民へと、権力を取り戻すことなのである」(340頁での引用)。

また禁酒法は都市部のカトリックの反・禁酒法主義者に対する、農村部のプロテスタント禁酒法主義者の闘争でもあったのであるという。

南部農本主義思想の拠点はテネシー州ナッシュビルのヴァンダービルト大学であり、南部農本主義の思想誌『アメリカン・レヴュー』の寄稿者としては、アレン・テート、ジョン・クロウ・ランソム、フランク・L.オウズリー、ドナルド・デイヴィッドソン、ヒラリー・ベロックらが挙げられる。

「アレン・テートにとってマルクス主義はじゅうぶんに革命的でなかった。なぜならそれは資本主義を左派の資本主義によって克服することであったからである。南部農本主義にとって資本主義はひとえに私有財産の分散によってのみ克服されるものであった。これはジェファーソンの伝統の教えであり、アメリカの基本中の基本なのである。アメリカ文明の危機の解決はアメリカ文化への回帰なのである」(342頁)。

この反都市主義=反資本主義という性格において、ほぼ同じ時代の日本の農本主義的右翼思想、たとえば血盟団や愛郷塾、それに陸軍皇道派青年将校達の思想との並行性を見ることはできないだろうか。

いずれにせよジェファーソンのモンティチェロ、エマーソンのコンコード、ヘンリー・デイヴィッド・ソローのウォルデン、それにウォルト・ホイットマンの「野生」などアメリカ思想の伝統に接続し得、また資本という点で見れば、資本の集中=都市に対する資本の分散、つまり反都市的な性質を持つ言説と言える。

さて1920年代に戻る。1893年のフロンティア消滅後、国内にはもはや「フロンティア」はない。1916年の国立公園法制定はいわば「国立公園」という新たな都市からのツーリズムの対象を形成することであったともいえ、T.J.クラークが『日常生活の描写』で述べた週末郊外への商品経済の浸透のような、都市の「余暇」が「自然」へと浸透し始めた現象の契機ともいえる。ヘンリー・フォードによるテネシー州マッスル・ショーズの開発などは示唆的であろう。いわばアグリツーリズムの先駆というべきか、言うまでもなく自動車はその生産組織と消費者だけでなく、それを受け入れる物理的空間、つまり「道路」を必要とするからである。さらに第一次大戦後の復員兵のための入植地を南部に求めたことなどを合わせると、第二次大戦後のレヴィットタウンとインターステイト・ハイウェイの原型がこの時代にできつつあったとも思えるものである。とともにさらにはルーズヴェルト時代ニューディールの象徴となるT.V.A.のプロトタイプもここにすでにあるとも見なせる。

南北戦争以来の北部共和党と南部民主党の関係が捻じれるのも、この時代である。ルーズヴェルト大連合の原型は1920年代、ニューヨーク州知事のルーズヴェルトの前任者アル・スミスの時代に形成されたという。この時代、共和党が都市部の掌握を失っていく一方、民主党労働組合等を通じて都市部をも掌握していく。考えようによっては労働組合とは都市内部における反都市的組織であるとも見做せるのかもしれない。本論冒頭にはウィリアム・ディーン・ハウェルの小説『アルトゥリア』(がライトのユーソニアンと類比的に)引用されているが、著者はそれについて「資本蓄積、搾取、伝統的な階級、独占、そしてその究極のものとして資本主義システムの触知的表現である都市への絶えざる微妙な非難なのである」(293頁)と述べているが、こうした認識はK.K.K.を含む南部農本主義者から都市部の労働組合にまで共通していたものであったかもしれない。一見すると野合のように見える「大連合」も「反・都市」という視点で見ると共通するものがあるようにも見えなくもないのである。また都市部においてはカトリック層がルーズヴェルト大連合の形成に与したとあり、ロバート・モーゼスが登場するのもアル・スミス時代のニューヨークにおいてである。ちなみに戸坂潤は『日本イデオロギー論』において「ルーズヴェルト体制」をファシズムの一形態と分析していた。

さて、ライトである。

著者はアリゾナへのライトの移動を大きな転機であったと見做している。それまでの日本建築やマヤ文明他への傾倒から、ここからライトはまた新たな展開を開始したと言え、「砂漠のサン・マルコス」ことオッティロ計画はその後のタリアセン・ウェストへと繋がっていくものであり、さらに北部工業地帯でも南部農村地帯でもなく、西部の乾いた砂漠へといわば逃避行することによるあたかも新大陸への一歩であったかのように、これは見えるかもしれない。1935年にロックフェラー・センターでその模型が展示されたブロードエーカーシティはそれまで親和力(elective affinity)によって個人の邸宅を主に設計してきたライトが社会的ヴィジョンと向き合った計画なのだと、著者は見做している。よく引用される4スクエアマイルズの正方形平面の模型の中心にはいわばコミュニティの中心のように学校が置かれ、その周囲にそれぞれ1エーカーの土地をあてがわれた住宅が配され、各住宅は寝室数ではなく所有自動車数によって分類される。住宅の外側に果樹園と葡萄園が配され、それに沿って動脈としての自動車道が全体を貫いている。この線形地上交通に対し、ライトはのちのヘリコプターやドローンの原型ともいうべき「エアローター」という乗り物による三次元非線形交通をさらに挿入する。

さらに周辺部には小さな工場やスモールビジネスが点在し、これは都市=資本集中に対する資本の分散という、農本主義とも共通する考えでもあるのであろう。この時代までのアメリカのユートピアの表現であるとともに、他方では戦後の郊外スプロールという現実を何がしか先取りしてしまっている、とも言える。

さらにここに置かれた個々の建物をよく見ていくと、かつてのプレーリーハウスからワンマイルスカイスクレーパー・プロジェクト、それにプライスタワーの原型となるセントマルクスタワーなどが並んでおり、このプロジェクトがライト個人の過去・現在・未来を投影するものであったことも、述べられる。

ユーソニアンハウスはその形態が部分的にプレーリーハウスと似たものがあるとしても、理念的にはまったくの別物である。