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メモ

Portland

第二次世界大戦時に集中してつくられた艦船などで、造船や鉄鋼の街としても発展してきた。戦時中、急造した軍需船舶の建造ラッシュで多くの労働者がポートランドで働いたが、戦後は失業することになる。その労働力の受け皿として、大規模な都市開発への公共投資が計画されていく。

 造船・鉄鋼という重工業が、やがて日本から韓国、中国へと移転していくにつれて、産業空洞化が進行し、ポートランドは「負の遺産」である大気汚染や河川の汚濁に悩むことになる。一九六○年代には、工業排水による汚染が深刻になり、ウィラメット川は「全米で最も汚染された川」と呼ばれた時期すらあった。公共事業によって道路を整備し、駐車場も拡大したことで、ポートランド市内の自動車交通は激増して、慢性的な渋滞を招いたものの商業的な繁栄には結びつかなかった。

 それから六○年、今やポートランドは、汚名を返上するだけでなく、「環境都市」という正反対のポジティブな評価を得るところまで生まれ変わった。

 そこに人々の意思があり、都市計画があり、長期を見通すビジョンがあったのは言うまでもない」。

ポートランドの都市の魅力をつくりだしているのは、豊かな緑と近隣で生産される新鮮な食材だ」。

「丘の上の公園を少し下がった学校の横で週末に開催されている、ヒルスデール・ファーマーズ・マーケットにも出かけてみた。UGBの外側には、豊かな農地が広がる。農家の人たちが収穫したばかりのもぎたての野菜や果物、新鮮な肉や魚、パンやジャム、色鮮やかな花等を自慢げに並べている。年代物のバンやピックアップの横に、販売所のテントを張っている」。

ポートランドブームのシンボルとなったホテルがある。一九九九年、ワシントン州のシアトルで開店したエースホテルは、ポートランドが二軒目の展開となる。ここも以前は老朽化したホテルで、誰も見向きもしないような、古いくすんだラブホテルというイメージだった。ところが古いホテルの刻んできた歴史に光をあてたリノベーションと巧みなデザインによって、ポートランド屈指の有名ホテルとなった。このホテルの魅力は、タイムスリップして忘れていた昔の家に帰ってきたかのような雰囲気にある。一階ロビーには、大家族が集うような、ゆっくりとしたソファがコの字に置いてある。街の人がくつろぎ、ツーリストがパソコンを広げる。街のリビングルームのような温かい空気が胸をジーンとさせる。

 近代的なホテルのように磨き上げられたピカピカの床や、シャンデリア等の装飾は何もない。静かでアットホームなフロントの横には、木製の階段が上階に続いている。一階には開業当時から、宿泊者が宿帳に名前を書き入れた木の机がある」。

「エースホテルは、二○○七年にリノベーションで生まれ変わり、今やポートランドを象徴する場として、「ポートランドカルチャーのハブ拠点」などと言われている」。

「このエースホテルの近くには、私たちを「知の殿堂」に誘い込んでくれる素晴らしい文化拠点がある。パウエル書店は、圧倒的な蔵書量で六三○○平方メートルの売り場に書籍四○○万冊の在庫を誇る。その規模は、アメリカで最大だという」、「ここでは「新刊」と「古本」が同じ書棚に並んでいる」。

「ライブハウスや小劇場をつなぐにぎわいを創りたいと計画する時に、最初に越えなければならないハードルは「用途地域」だ」、「全国の市町村長にはあるが、特別だけは、東京都が権限を握り、区は持っていない」。

「Farm to Table」

「ファームもレストランもお互いにアプローチする方法がわからなかった」、「生産、流通、販売の関係」、「食材によって仕入れるファームを分けている」、「ポートランドには力のあるシェフが全米から集まってきて、競争も激しくなっています」、「レストランがどんどん活性化していく」。

デルタ航空さんは、ビジネスクラスの食事を見直したいということで、和食のケータリングをしている私たちを訪ねてこられました」。

「まず、人々が本当に好きなコーヒーを提供できる、最高のロースターが必要」、「コーヒーの好みというのは人によってそれぞれ違う」、「その頃、ポートランドのコーヒーシーンというのはどういう状況だったんでしょう」。

「レッドライニングとは、不動産業者や銀行、土地所有者、市役所が、アフリカ系アメリカ人やその他の人種的、民族的マイノリティを特定の地区だけに制限することを意図した差別的な住宅政策を示す」。

「都市再生とは、1949年の連邦住宅法によって始められた都市計画事業であり、そこでは「スラムや荒廃した地区をクリアランスすることを通じて、基準を満たしていない、または他に不適格なところがある住宅を一掃すること」が勧められた」。1960年代頃まで、このことは、「黒人排除」と一般的に呼ばれていた」。

「ヒップなショッピングとエンターテイメント地区へと変貌を遂げた。4階建てのコンドミニアムやブティック、バーの急な出現には、デベロッパーへの税制優遇や不動産所有への補助金による大幅な支援があった」、「ポートランドのかつての黒人街のメインストリートにあった62の小売スペースのうち68%が開店5年未満の新しい店であった」。

「白人の人口が増加したのとは対照的に、黒人の住民数は長期にわたって着実に減少してきた」、「1999年、ちょうどポイジのマジョリティが黒人から白人へと変わろうとする時期に、地区内で低所得者向け新規住宅の建設に対する、近隣住民による反対運動が行われた」。

「結束力があり互いに助け合うコミュニティのような無形財産の損失は計り知れない。その最大のダメージはジェントリフィケーションによってもたらされた」。「かつて数ブロック内に住んでいた人たちが都市圏の両端に追いやられてしまっているため、コミュニティの再生は非常に困難である」。

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