ジャン・ジャンジェ『ル・コルビュジエ書簡撰集』千代章一郎訳、中央公論美術出版、2016
1910年3月にペレ兄弟に宛てたアメリカ行きの書簡は収録されていない。以下メモ。
ペレに就職願いの書簡は1908年4月15日
「先だっての水曜日の面接の通り、他の研究を中止し、貴殿のところで働くことにします。事務所で働けることはなによりの幸せです」(p63)
クリプシュタインあて1912年8月20日、アメリカ行き希望。
「スペイン、アメリカ、ロシア、インド。夢物語ばかりみています!」(p107)。
ジャンヌレにロースのことを教えたのはペレ、1913年11月27日書簡
「ロースの記事はたいへんすばらしく、とても気に入りました」、「まったくもって新しい時代の感情です。3.5フランの本、見返しが黄色の頁のなかにも埋もれているのを掘り起こしてみたいのです」、「これからは、ことあるごとにロースの背後に隠れていることにします。私などはよい考えを伝える布教師にすぎないのですから」(p113)
「ヴォリューム」という言葉の登場。
1914年ジッターあて。
「どんなものにもヴォリューム、ディテールそして全体があり、パルテノンのごときもの、少なくとも完璧に美しいものをつくることは可能です」(p118-119)。
ドミノへの言及。
1915年5月3日、ペレへの書簡
「もちろんベルギーやノール県が最良の方法によって再建されるのが一番です」、(p127)「鉄筋コンクリートの建設システムをお見せしますので容赦なく批判してください。しかるべきときに重要な助言をいただきたいと思っています」、「スイス人の技術者(マックス・デュボア)がやっている鉄筋コンクリートの開発の件はパリで協働することにしました」(p127-8)。
2016年7月21日ペレあて
「コンクリートの骨組を数週間で組み上げ、見栄えのよい煉瓦で充填します。コーニスは花壇のようになります。大きな居間には大開口があります。小さな寝室が各階にあります。屋上はぐるりと廻れるようになっていて、日光浴室と療養室の回廊になっています」、「ペーター・ベーレンスよりもオーギュスト・ペレの痕跡がお分かりいただけるはずです」、「私の特許がベルギーかどこかで役に立つことを待ち望んでいます」、(139)。
「私はもうこれまでのジャンヌレではありません」(p142)。