Stolog

メモ

コンドルセ他『フランス革命期の公教育論』坂上孝編訳、岩波書店、2002年

理工科大学設立について確認。

278頁の解説文

テルミドールの政変は公教育の構想にも大きな変化をもたらした。初等教育に充填を置き、知育中心か徳育中心かという教育理念にかんする議論に終始したそれまでの議論に代わって、エリートの養成を目的とする高等教育が公教育制度の中心的課題になるのである。こうして一七九四年九月から、のちに理工科学校として知られることになる公共事業中央学校、国立工芸院、医学校(パリ、モンペリエストラスブール)、中央学校などが次々と設立される。

公共事業中央学校は、一七九四年三月にバレールの提案にもとづいて、軍隊が緊急に必要としている技術将校の速成と科学・技術の総合的教育を目的として、設立が決定された(ヴァントーズ二一日の法令)。」

「翌年八月、公共事業中央学校は理工科学校と改称され、その後、フランスの科学技術教育の中心的位置を占め続けることになる」。

 

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