Stolog

メモ

Claire Zimmerman, “Building the World Capitalist System: The “Invisible Architecture”of Albert Kahn Associates of Detroit, 1900-1961,” Fabrications The Journal of the Society of Architectural Historians, Australia and New Zealand, vol29, 2019-issue2

 

文献

Albert Kahn Associates, Architecture of Albert Kahn Associates (New York: Architecture Catalog Company 1948)

Grant Hildebrand, Designing for Industry: The Architecture of Albert Kahn (Cambridge, Mass.: MIT Press,1974)

Chris Meister, “Albert Kahn`s Partners in Industrial Architecture,” Journal of the Society of Architectural Historians 72, no.1 (March 2013)

Henry-Russell Hitchcock, “The Architecture of Bureaucracy and the Architecture of Genius,” Architectural Review 101, no.60 (January 1947)

Jean-Louis Cohen, Architecture in Uniform: Designing and Building for the Second World War (Montreal: Canadian Center for Architecture, 2011)

Beatriz Colomina, Domesticity at War (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2007)

Donald Albrecht, World War II and the American Dream (Cambridge, Mass.: MIT Press,1995)

Sonia Melnikova-Raich, “The Soviet Problem with Two “Unknowns”: How an American Architect and a Soviet Negotiatior Jump-Started the Industrialization of Russia, Part I: Albert Kahn,” IA: The Journal of the Society for Industrial Archeology 36,no.2(2010/2013)

Anatole Senkevich Jr. “Albert Kahn`s Great Soviet Adventure,” Dimennsions10(1996)

Jean-Louis Cohen, “L`oncle Sam Au Pays Dee Soviets,” in French

 

Jahrbuch DesDeutschen Werkbundes 1913-Die Kunst in Industrie und Handel (Berlin: Reckendorf, 1913)

 

メモ

「ヘンリー・ラッセル=ヒッチコックは、「天才」フランク・ロイド・ライトと比較し、カーンの建築を「官僚的」とレッテル張りした。これに続き、ヒッチコックらは「軍産複合体」をエレガントに批判する黙殺的な手つきで近代建築史から排除した」、この言葉はドゥワイト・アイゼンハワーが1961年に用いたものである」232頁

 

アルバート・E.カーンは熱心な共産主義者で、作家、ジャーナリスト、J.エドガー・フーヴァーに煙たがれた人物である」

 

「カーンはドイツ・ファシズムと米国覇権に強く反対していた。1940年に共産主義者のニューズレター『ジ・アワー』を創刊、ドイツ=米国軸や米国の親ナチ・プロパガンダ組織と戦った。アルバート・E.カーンはカーンの甥である」

 

「彼とカーンの戦時中の敵は同じ、つまりファシズムの打倒であったが、同じなのはここまでで、産業資本主義が社会改善の積極的動力となると信じたカーンの進歩的時代のものと異なり、アルバート・E.の政治的急進主義はこれに反対だった」233頁。

 

アルバート・カーンは北米を中心とした第二産業革命を目撃した。これは内燃機関の発明によって世界を変えるものだった。アルバート・E.は反対に「軍産複合体」出現を目撃した。これは軍の構築による経済的利益により、産業力を政治的影響力に変えるものである」 234頁。

 

「ジャン=ルイ・コーエンはカーンの立場を「生産ラインの生産者」と分析した。第二次産業革命は政府に対し、1942年以降の戦争の帰趨を決するほど強い力を民間産業に与えた一方、これら企業は優遇措置無しには憚るものだった。代わりに、国防工場公庫(DPC)が大恐慌後の復興金融公庫(RFC)を補助するものとして設立された。これは、フォード自動車、グレン・L.マーティンなど民間企業に莫大な資金を投下するためのものだった。だが1945年後も政府とこれら民間企業の関係は解消されることなく、冷戦時代に入っていく。

 カーンは建築における技術革命の一部だった。だがこの革命は、今日のパワーインバランスまで続くより大きな歴史的展開のなかで見なければならない。ここでの大きな歴史的素描は、世紀の変り目頃の自動車とエンジンの大量生産に始まり、1961年以降のどこかで終わるものである」234頁

 

挿話的メモ

The Reconstruction Finance Corporation(RFC

1929年恐慌後に、債務超過のおそれがある銀行支援のための組織として1932年に設立。

その後範囲が急速に拡大し、公共インフラ事業にも融資。

The Defence Plant Corporation(DPC)

RFC傘下。戦時中の工場や設備投資の資本を融資するための公庫。

 

カーンの仕事として、ミシガン大学工学部西棟(1905)、デトロイトのハドソン自動車会社(1910)、モーリツ・カーンによる書物『産業建物の設計と施工』(1917)が、それぞれ、技術、レギュレーション、理論という観点から述べられる。

 

カーンはトロブリッジとも業務提携。

 

「工学部西棟が竣工する1905年に三男のモーリツ・カーンが工学部を卒業する。彼はロンドンに送られ、その地でのフランチャイズの可能性を探る。1907年にロンドンにトラスコンをオープン、そこから大英帝国のネットワークを通じて、ニュージーランドやオーストラリアにもオフィスを拡げる」238頁。

 

「マイケル・スミスが指摘するように、パッカード10がデトロイトの最初の鉄筋コンクリート工場なのではない。」→ハドソン自動車。

 

『産業建物の設計と施工』(1917)239頁。

 

書物『産業建物の設計と施工』(1917)について。

「この書に記されている著者の政治的ゴールは英国とその植民地のネットワークに関係しており、トラスコンをグローバルに成功させることだった。設計や施工だけでなく、産業化によって起こる初期変化を資本主義と調停しようと試みることだった」(241頁)。

 

「同書の末尾は2章で括られ、一つは建築の扱い、もう一つが労働者の福祉である。これは機能主義者の考えの挿入である。成功した建築の扱いと幸福な労働者が、建築生産の技術的関心の成功した採決から自然に導かれるというものである。機能主義の核心を同書は採用する。使用や素材や技術の観点からの道具の正しい設計は、美と適正に結果するというものである。米国では19世紀の有機的機能主義は動物の生理に向けられ、建築家は機械技術とともにこの「設計」を模倣するとされた。『設計と施工』はこの種の機能主義を取り上げ、19世紀後半に出版されたテキストで強調された理論を提供する。反対にカーンは、この出版に4年先行して、自身が設計した建物に導入された生産ラインについて言及しない。当時最も急進的な生産過程のこの変化を示そうともしない。これはテイラリズムとフォーエリズムの科学的管理によって客観的に生産性が計測されるという圧力上に資本化されるものだった。『設計と施工』はラスキンで終わる。「より直接的には陸軍将校のようにより大きな集団の主人であり統率者のように、その仕事を通してなる」、これに続けて「新しい工場、未来の工場は、充分に生産的で、魂なしの組織としては、国によって認められない」243頁。

 

「カーン社は戦争契約で莫大な利益を得た」251頁。

 

「窓のない生産施設は戦後、一般的になった。安価なエネルギーや新しい気候管理という観点等から空間の最適化の声とこれは一体化する。カーンやその他大勢もこの複合物の物理的装置を建てた」250-251頁。