Stolog

メモ

Roger Matuz, Albert Kahn Builder of Detroit, Wayne State University Press, 2002

フェデリコ・ブッチの評伝と並んでアルバート・カーン伝の基本文献。

以下メモ

カーンの父ジョセフはラビ(15p)、メーソン事務所入所(21p)、アドラー+サリヴァン事務所にライト後任として誘いを受けている(39P)、

友人のヘンリー・ジョイがパッカード社マネージャーになったことがパッカード設計のきっかけ(36-38p)、

1906年にネトルトン+カーン+トロブリッジ事務所設立(40p)

最初のRCビルザ・パーム・アパートメントは1901年、これはまだ壁が多い(43pあたり)

ジュリアス・カーンについての経歴1896年にミシガン大学工学部卒業後、海軍工兵となる。1900-1902年に日本に滞在し、鉄と硫黄鉱山で建設監督と維持管理の仕事をしたとある(45p)。どこの鉱山? 日本で何をし、何を見聞きしたのか?

ジュリアスとRCの関係、トラスコン社の記述(47p)

デトロイト南北戦争時に急成長、ミシガンの銅鉱山が兵器に使用される。戦後、中西部の建設市場で使用される材木の製造拠点、鉄路のハブとなる。ヘンリー・ジョイの父親は鉄道オーナー(48p)。

RC構造のプレゼンテーション(49P)。

Albert Kahn Associates, Inc., Architects and Engineers, 資料?

パッカード工場についてのアルバートとジュリアスの記述(51P)。

より機能的な工場の設計→フォードT(52P)

ヘンリー・フォードに対するアルバートの印象(53P)。

1910年ハイランドパーク工場竣工、クリスタルパレスという仇名(55P)

はいらんドパークはRC、リヴァールージュはS(60P)

エリエル・サーリネンとカーンの関係(75P)

1928年のフィッシャービルは複合ビル(76-77P)。

大恐慌から第二次世界大戦についての記述(79p以降)

 

f:id:madhut:20220114172329j:plain

5